2017/10/30

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オレは学校生活が死ぬほどキライだった

「あのころに戻りたい」
「あのときが1番楽しかった」

残念ながらこのようなことを言ってくる連中と仲良くなることは、ほぼ100%なかった
そもそも、この「楽しい」という感覚が理解できなかった

「みんなで一緒に仲良くしましょう、何かしましょう、それは楽しいものなのです」

というのを強要される場でしかなかった
オレにとっては苦痛以外の何物でもなかった

そんな中で、唯一の例外が中学時代の3年間だった

オレは昔から団体行動が出来ない、重度の乗り物酔い、という学校生活をまともに送るにはあまりにも致命的な爆弾を抱えていた

特に小学生の頃は団体行動の極みである修学旅行や林間学校、社会科見学は常に別行動だった

世間体に過敏な身近な他人たちにとっては、醜態以外の何物でもなかったに違いない

「お前は失敗作だ」
「お前の中に私の遺伝子が入っていることはない」

幼少の身にはあまりにもショックな言葉だ

そもそも、オレを望んでもいないのにこの世に誕生させておいて言うセリフではない


それだからかもしれないが、オレの通っていた中学は、何らかの事情で親元で暮らせない連中が半数いるところだった