2017/08/31

■59

久しぶりに大城に会うことになった

オールモストの話を聞いてからちょうど3ヶ月経っていた
場所はいつものデニーズだった

聞くところによると、直接紹介した人数が俺含めて6人になったようだった
そして、順調に売上げも伸ばしているということだった
確かにその言葉にウソはないようだ
大城の物腰や醸し出されるオーラがそれを物語っていた

無論俺は動いていなかったが、大城曰く全く問題ないとのことだった
直接紹介の残り5人の動きが尋常でないらしいのだ
もうネットワークビジネスだけで生活できるようになったのだろうか?

「いや、まだだ。でも、今月は10万ぐらい行きそうなんだ。結構デカイぜ」

確かに普段の仕事での収入が20万ほどであれば、併せると30万になる

「俺は欲しいもんいっぱいあるしな。手に入れるためには金が必要だからよ」

「確かにそうだな…」

「そういや、香織ちゃんとはどうよ?順調か?近いうちに出来ちゃった…なんてことがあったりするとか?」

「いや、それはないな」

「まあ、お前だったら絶対避妊ミスったりしなさそうだもんな」

「でも、外されそうになったことは何度もあるぜ。しかも、いつも俺の理性が飛ぶ一歩手前だから、油断出来やしない」

「あれだな。香織ちゃん結構マジだな。こりゃ時間の問題じゃね?」

「そうかもな…。でも、俺はまだ結婚する気はないな」

「今はみんな金ねえもんな。自分1人だけだったらなんとかなるけどよ」

香織と一緒になること自体に抵抗は感じない
その一歩を踏み出せないのは経済的な理由もあるが、よく考えてみるとほかの理由も薄々ある気がしていた
自問自答してみる必要がありそうだ

「あれぇ~。2人で仲良く何やってんの~?」

聞き覚えのある締まりのない声とともに真奈美がやって来た
今回は原色主体の服装ではなく、茶系が主体だった
髪の色合いがより明るくなっており、髪型もアシンメトリーになっていた
前髪は左目が隠れるぐらいの長さで、どことなく大人な色香が漂っていた

「ABCやってるようには見えねえだろ?」

大城の言葉には明らかに棘があった

「まあね~」

真奈美は全く意に介していないようだった
基本的に他人に何と思われても気にすることのないタイプなのだろう

「お?あたし好みのイケメン発見~♪」

俺の座っている左側には多少なりともスペースがあったので、そこに真奈美が割り込むように座ってきた
きつめで甘ったるい香りがした
動物的で官能的な匂いだった

真奈美はデニムのミニスカートに膝が隠れるほどの長さの黒いレザーブーツを履いていた
ミニスカートは超を付けても差し支えないほど短かく、そこからスラリと伸びる両足は、付けている香水の香りと相まって香織とはまた違った妖しさや野生的な美しさがあった
きっと数多くの男たちを手玉に取って来たことだろう

「どこ見てんの~?」

俺の視線に気付いたようだ
真奈美の口元は笑っていたが、目は挑発しているような目だった

「オラ。彼女持ちの男を何誑かそうとしてんだ。チビッ子」

「チビじゃないも~ん。それに誑かすだなんて人聞き悪~い」

真奈美は一体何をしに来たのだろうか?

「てか俺らに近付いても何も出ねえぞ?」

「んなことわかってるし~。ただ見かけたから来ただけだも~ん」

「あっそ」

どうやらウソではなさそうだ

「ねぇねぇ。イケメン君…」

真奈美の目がからかうような目から急に眼光が鋭くなった
大城も真奈美の異変に気付いたようだったが、敢えて何も言わなかった

「香織のこと大事にしてる~?」

「と言うと?」

質問の意図がよくわからなかった

「ん?別に深い意味はないよ。香織と最近どうなのかなって思っただけ」

「まあ、普通にラブラブかな」

「ふ~ん…」

真奈美の目には疑うような雰囲気が漂っていた
俺はウソをついたつもりはなかったが…

「おいおい姉ちゃんよ。何疑ってんだよ。こいつが女を泣かすような男に見えるか?」

「べっつに~」

確かに俺は香織を満たしきれてはいないかもしれなかった
声や表情にそれを感じさせるサインが出てしまっていたのだろうか?

とりあえず真奈美は大城とのやり取りを楽しんでいるようだった
こうしてみると、この2人は意外とお似合いなのかもしれない

2017/08/30

■58

香織は実家暮らしで、最初のうちは土日やその前日に体を重ね合わせていたが、次第にお互いを求める度合いが強くなっていくにつれて、週の半分は営みに費やすようになっていった

「ねぇ…。今日は大丈夫だよ…」

香織が幾度となく耳元で囁くことが増えてきた
しかも、俺の理性が完全に失いかける一歩手前のタイミングで言われるので、その度に我に返り、香織の要望には応えられないことを伝えるのだった

どうやら俺はどんな状況であっても、理性の欠片を残しておくことが出来るようだ
さすがの香織も俺の理性を完全に剥ぎ取ることは出来ないようだった

香織は身も心も俺と結ばれたいと本気で思っているようだった
そして、その身にお互いの愛の結晶を宿したいとも思っているようだった

確かに一時の感情に全てを委ねてしまいたくなることは何度もあった
香織と一生を共にするのも悪くないと思い始めていた

しかし、どういうわけかその一線を超えることは出来なかった
香織の中に入るときは常に薄いゴムでしっかり包んだ状態だった

「私はいつでもいいよ…」

香織はいつも優しく微笑んでくれたが、その表情にはその都度寂しさや落胆も滲み出ていた
俺は自分が情けなくもあったが、実際『やっちゃった』では済まないのだ
まだ自分が親になることなど到底イメージが出来ない
香織には不安はないのだろうか?

「もちろん不安がないわけじゃないけど、先のことは実際になってみなきゃわかんないよね?」

確かに一理ある
人生は敷かれたレールの上を走る列車ではないのだ
一寸先がどうなるかもわからないような状態だ
だからこそ、極力負わなくてもいいリスクは負いたくないというのが本音だったりもする
別に香織との間に子供が出来ることがリスクだということではないが…

2017/08/29

■57

改めて振り返ってみると、大城からオールモストの話、正確に言うとネットワークビジネスの話を聞いてから1週間ぐらいしか経っていなかった

しかし、既に1ヶ月経過していたような気がするほど色々な人間に出会い、そのうちの1人とは肉体関係を持ってしまった

ただ毎日を過ごしていただけの今までとは全く違った濃い時間だった
それは楽しくもあったが、同時に怖さもあった

まるで、見えない何かに支配されているのでは?と錯覚してしまうような感覚だった
それとも、未経験な世界に足を踏み入れたときに感じる期待感と不安感が入り混じった、あの独特な感覚だろうか?

俺はこれからどうなっていくのだろうか?
香織と結婚することになるのだろうか?
近いうちにコウノトリさんが来ることになるのだろうか?
大城はネットワークビジネス一本で生活出来るようになるのだろうか?
小松はどこまで稼げるようになるのだろうか?
真奈美は再び波乱含みな流れを呼び込んで来るのだろうか?

大城は、聞くところによるともう1人直紹介したようだった
しかも、小松が主催するセミナーに動員したり、ABCを頼んだりすることなく、独りで一連の作業をしてしまったそうだ

大城が稼げればその分小松にも収益として還元されるしくみになっている
基本的に一般企業のピラミッドと同じ形にはなっていくようだが、大城の上げた利益が小松にピンハネされるわけではない

小松にも収益にはなるが、そのパーセントとしては大城の収益分の5~10パーセントぐらいの額が会社から配当されるらしい

オールモストは配当に対してのノルマはないようで、大城曰く、普段仕事としてやっている営業よりやりがいがあるとのこと
インセンティブがずっと続くような感覚で出来るらしい

俺は営業未経験者なのでよくはわからないが、おそらく一般企業で言う所のボーナスと呼ばれる臨時収入的なものなのだろう
ちなみに正社員も経験したことがないので、そのボーナスをもらう感覚がどういうものかも定かではない

まあ、お金がもらえて嬉しくない人間はまずいないだろうから、きっと自分がその立場になったら嬉しいことには変りはないと思うが…

ただ、それでも俺は正社員というものに魅力やメリットを感じない
仮に毎月の収入が今の2倍3倍になるということであれば多少は考えるかもしれないが、収入が安定する、キャリアアップ出来る機会が増えるというだけではあまりにも不十分だと思わずにはいられない

大抵の場合、手取りが多少増えるだけで、拘束時間や理不尽な責任も同時に増えるのが現状だろう

俺は人生の貴重な時間の大半を会社の歯車の一部になって過ごすのは耐えられない
とは言え、組織の力を借りずに自分自身の力で稼ぐには、才能や運、コネなどがなければ極めて難しいのは言うまでもない

大城や小松からはネットワークビジネスはそういったものがなくても、俺の目指すものが叶えられる手段だと聞いてはいたが、個人的には楽しめないものだった

確かに収入プラン的には可能性は十二分にあるのはわかるが、楽しめないものが長続きするはずがなく、長続きしないということは収入にならないということを意味する

ならば、ほかの方法を考えなければいけないのだが、俺は香織との男女の営みが楽しくてしかたがなく、それ以外のことを考えられない状態だった

脳のどこかが麻痺してしまっているのだろうか?
一説によると『セックスは麻薬のようなもの』ということだったが、それに関しては激しく納得してしまった

確かに1回でもお互いの中に入り合ってしまうと、何度でもあの感覚を味わいたくなってしまうほどの強烈な常習性がある

2017/08/28

■56

お湯の入ったユニットバス内で俺は背後から香織の体を撫でていた
香織も嬉しそうに俺の手を握っていた
目の前に見える肌は白く透明感があり、薄いピンク色になっていた

これは生まれ持ったものだろうか?
それとも日々の努力の結果得たものだろうか?

「随分スベスベしてるね…」

「…そう、かな?特に何もしてないよ?」

「そうなんだ」

どうやら先天的なものだったようだ
いつまでも触っていたくなるような感触だった

「気持ち良さそうだね?」

「ああ…」

気が付いたら香織の背中に頬擦りをしていた

「…くすぐったいよ」

「どこが?」

「…全部」

「しょうがないだろ。こんなに触り心地いい肌してるなんて反則だぜ」

「フフフ…。なんかタカシ君カワイイ…」

「そうか?健全でいいだろ?」

「そうだね…」

我ながら何を口走っているのだろうか
どうやら完全に理性はどこかに行ってしまったようだ
しかし、それはそれで心地良かった
そもそも男女の関係に理性を持ち込むこと自体が馬鹿げているかもしれない

2017/08/27

■55

真奈美が不機嫌そうに掛け布団にくるまっている
小松は真奈美から離れた場所でタバコを吸っている

「なんかぁ~。スゴイ馬鹿にされた気分なんだけど~」

「やる気なくなっちまったもんはどうしようもねえよ」

「何それ~。サイテ~。こんな扱い初めてだし」

「だったらちょうどいいかもな」

「はぁ?ちょうどいいって何が? 意味わかんないんだけど~」

鼻で笑い、タバコを消す小松

「原因と結果ってヤツだ。物事には何でも理由がある。なんでこうなったか考えてみな」

「ちょっとぉ~。それってなんか~。自分のやったことを正当化してない~?」

「正当化はしてねえよ。お前の今までの行動とか考え方が招いた結果だ」

有無を言わさずに立ち去る小松

「ちょ…。一体何なの?こんな格好でこんなとこに放置されても困るし」



大城は友人と話している様子。テーブルには中身が何も入っていないグラスが3つとコーラの入ったグラスが1つ置かれている

大城は身振り手振りを交えながら、ファイルされた資料の説明をしているようだった
内容はオールモストのボーナスプランだった



JR八王子駅南口にある階段を2段飛ばしで駆け上がっていく小松

携帯電話が鳴る
階段を上りきった後、携帯電話をチェックする小松
大城からのメールだった

『1人決めた。これで2系列だ。あと、お前に言っておきたいことがあんだが、これから俺はTOPAZとしてではなく、Lapis lazuliとしてオールモストをやることにするぜ。独立ってことじゃなくて、自立って感じだ。正直、俺のグループの売上げの何%かがお前の取り分になるのはすげえ気にいらねえ。だが、俺はお前のダウンっていうポジションになっちまってる以上は100歩譲って妥協する。まあ、厳密に言うと俺の取り分が減るわけじゃねえから別にいいけどな。てなわけで、俺のグループはこれからすげえことになっからよろしくな』

顔をしかめながら、携帯電話を見ている小松



カフェ・シャノアールから出てくる大城
携帯電話が鳴る
小松からメールが来ているようだった

『セミナーには来ないってこと?』

携帯電話を操作し始める大城



JR八王子駅北口のエスカレーターに乗る小松
携帯電話を取り出す
大城からメールが来ていた

『ああ。宗教とかじゃねえだろ?ABC主体でも展開出来そうだしな。てか、あくまでも方法論の1つだろ?こうでなきゃいけないみたいなのはねえはずだろ?いいじゃんよ。俺の取り分が増えるってことはお前にもメリットがあんだろ?』



ハローワーク八王子の前でコーラを飲んでいる大城
人の出入りはほとんどなかった
曜日や時間帯によっては非常に賑わう場所だ

巷では景気がよくなったと言われているようだが、実際はIT化、デジタル化が進んだことによって以前より人手が不要になり、むしろその弊害を被っている人が増えたのではないかとすら思える

小松からメールが来る

『好きにしな。上手くいかなくても俺は一切フォローしないけどな』

鼻で笑いながら、メールを打ち返す大城



ヨドバシカメラ八王子店前を歩きながら携帯電話を見ている小松

『そう言うと思ったぜ。心配すんなって。俺にはSIS戦略ってのがあるからよ。気付いたら俺のグループがすんげえことになってっからよ』

大城のメールには返信をせずにそのまま歩いていく小松

2017/08/26

■54

部屋は完全に夜の色になっていた
俺は天井を眺めていた

香織は俺の体にくっ付いたままだった
離れる素振りは全くなかった
肌と肌が触れ合っているこの状況に幸せを感じているのだろう

「ねえ…。ずっとこうしてていい?」

「ああ…」

「私…。本当はそんなにお金はなくてもいいんだ…」

「へえ…」

「あの人は、まるで世の中お金が全てだみたいな言い方するじゃない?でも、実際はそうじゃないよね。お金で買えないものの方が多いと思うし」

「まあ、そうかもね…」

「タカシ君はどう思う?」

「そうだなぁ…」

正直なところ個人的には全く興味のないことだった
確かにお金で買えないものはたくさんあるが、数を挙げればキリがない

しかし、現実的な話になると、そういったプライスレスなものを維持するのにもお金は必要なのだ
要は両方とも必要なのだ

どちらかだけあればいいというものではない

お金がたくさんあっても、無論ないよりはあった方がいいとは思うが、心が荒廃していては建設的な使い方が出来ないだろう
その逆も然りで、お金で買えないもので心が満たされていても、銀行口座の中身が常に残高ゼロでは、生きていくのが極めて困難だろう

俺は香織を見た
目が合うと香織は優しく微笑んだ
まるで俺の言葉を待っているかのようだった

「俺は金も金で手に入らないものも、両方とも大事だと思うし、必要だと思う。どっちか片方じゃなくて、2つのバランスが取れるのが1番かな」

「そっかぁ…」

香織は言葉を選んでいるようだった
俺の返答は香織にとっては意外な内容だったのだろうか?

「思ってた答えと違った?」

「ん?そんなことないよ。タカシ君らしいなって思ったの」

「あ、そう」

「そういうことにあんまり興味ないでしょ?」

「まあ、そうだな」

基本的に俺は興味のない物事に関しては、どうでもいいというわけではないが、返答の仕方に熱が籠らないとよく言われることが多い
香織はその微妙な温度差を感じ取ったのだろう
俗に言う女の勘というものだろうか?

「なんでわかったの?」

「なんとなく」

「女の勘?」

「そんな感じ」

香織に限らず、一般的に女性は男性に比べて第6感が鋭いと言われている
脳の構造によるというのが、大きな要因のようではあるが、歴史を紐解いてみると、女性は男性よりも社会的地位が低かったというのもあるようだ

実際、女性は話を聞いているときに相手をじっと見ることが多い気がする
それは好きだからということではなく、相手の表情や雰囲気などを観察し、ウソを見破ったりするためという意味合いが強いようだ
いわゆる自分の身を守るための防衛策というものだろう

「ねえ、今何考えてるの?」

「…色々とね」

「エッチなこと?」

「まあ、それもあるな」

「どんなエッチなこと考えてたの?」

「女の勘でわかるんじゃないか?」

「タカシ君から聞きたいな…」

「…こんな感じかな」

俺は上半身を起こし、香織の足を開いて腿の上に座らせた

「へえ…。この形は初めてだな。でも、気持ち良さそう…」

そのまま抱き合った
背中に回ってきた香織の手に力が入り、全身は小刻みに震えていた
どうやら足も俺の背中側にあるようだった
形としては抱き付くような格好になっているようだ

俺は香織が離れないようにしっかりと抱き締め、そのまま腹筋と背筋の力だけで腰を上下に動かした
香織の手にはますます力が入り、足も巻き付けるように密着してきた
体には相当負担がかかるだろうが、そんなことはどうでも良かった
次の日起き上がれなくても良かった

香織はかすれた声で、言葉にならない喘ぎを発し始めた
そして、俺の動きに合わせて腰を上下に動かし始めた
正直なところこの声が聞きたかっただけなのだ
そして、この、より深い部分で1つになった何とも言えない感覚をいつまでも味わっていたかった、ただ、それだけだった

2017/08/25

■53

日差しは完全に夕方の色になっていた
香織は俺の上に跨っていた
激しい息遣いと共に体を上下に動かしていた

俺はカーテン越しの夕日に照らされる香織のお腹から胸までのボディラインを見ていた
かなり汗を掻いているようだったが、その濡れ具合がまた美しかった

香織の動きが止まり、体を重ね合わせてきた
熱かった
滴り落ちる汗が俺の顔にかかった。息遣いは深くなっていた

「キス…して…」

どうやら香織は性的に興奮してくると声が擦れる傾向にあるようだ

俺の目の前には香織の唇があった
厚ぼったくはないが、薄くもなく、程よい肉付きだった
今度は柔らかく口付けすることにした
香織はすぐさま舌を入れて来た

俺は敢えて舌と舌を絡めずに、香織の歯や歯茎を舐め回した
俺が舐め終わると、香織も同じように攻めて来た
くすぐったかったが、それと同時に気持ち良さもあった



ラブホテルの一室
室内の照明はお互いの顔色が青く光るような色だった
ワイシャツ姿の小松がベッドに腰掛けながら、タバコを吸っている

鳴り響いていたシャワーの音が止まり、真奈美がやってくる
体にバスタオルを巻き付けた状態で

「お待たせ~。君も行って来なよ」

小松はタバコの煙を吐き出しながら

「おせぇよ」

「ごめんてば~」

「わりいと思ってんなら…」

小松は立ち上がり、真奈美の体を覆っているバスタオルを剥ぎ取る

「やらせろよ」

真奈美の華奢ながらも瑞々しい肢体が露わになる

「エッチ~。こうなったら…」

小松に抱き付く真奈美

「犯しちゃうぞ~」

真奈美は小松のワイシャツを脱がしながら、口付けをする



カフェでくわえタバコの大城が足を組みながら本を読んでいる
本は『ネットワークビジネス最初の一年間』というものだった
テーブルにはキウイジュースと携帯電話が置かれていた
携帯電話が鳴る

「おう。久しぶりだな。今どこにいんだ?おお!マジか。俺も八王子にいんだ。ああ…。南口のルノアールだ。来るか?じゃあ、待ってるぜ」

電話を切る大城

2017/08/24

■52

小松は苛立ったように電話を切る

「あれぇ~。小松のおじさんじゃん。何してんの?」

小松を見上げるようにする真奈美
小松はチラリと見るだけで、何も言わなかった

「何その態度~。相変わらずカワイクないなぁ~」

「何か用か?」

小松は真奈美と目を合わせようとしなかった

「ん~。別に~」

心なしか真奈美の表情はにやけていた

「用がねぇなら消えろよ」

小松は明らかに虫の居所が悪いようだった

「君に命令される筋合いはないも~ん。どしたの?なんか、彼女に振られちゃったみたいな顔してるけど?」

「…」

「あ、もしかして香織のこと?きっと今頃あのイケメンとエッチしてるんだろうねぇ~。ひょっとして悔しいの?そりゃそうだよね~。自分の方が結果出してるしとか、自分の方が年収も上だしとか思ってんでしょ~?」

「…それが何か?」

「あれぇ~。今の間は何かなぁ~。あまりにも当たりすぎてたから一瞬何も言えなかったんでしょ?」

「だから?」

「ん?それだけ」

真奈美は小松の隣に立ち、腕を掴む

「何だよ?」

「彼氏がね。新宿でほかの女とラブホに入ってくの見ちゃった…。君も今のあたしと同じ気持ちのはずだよ」

「…お前なんかと一緒にすんじゃねぇよ」

小松は真奈美を振り払おうとはしなかった

「相変わらず嘘つくの下手だね。まあ、そこが君らしいんだけどね~」

「うるせえ…」

「浮気って、やっぱ伝わっちゃうんだね~。自分がすると相手もするもんなんだね。それで結局誰もいなくなっちゃう…」

「…」

「まだ奥さんがいるからとか思ってんでしょ~?わかんないよ~。ただ知らないだけってこともあるしね。結局カレカノとか夫婦とか以前に男と女だからさ。わかるでしょ~?」

「…まあ、それに関しては否定出来ないかもな」

「女は金と社会的地位さえあれば手なずけられるってもんじゃないってことだよね~」

「お前だって人のこと言えないだろ?どうせ男はバカだから自分の中の女を使えば落とすのなんて簡単とか思ってんだろ?」

「…否定はしないよ。てか、こうやって君とくっ付いてると、どういうわけか無性にあたしの中の女が疼くんだよね」

「俺の何が目的なんだ?金か?」

「いや、違うみたい…。なんだろう…。なんか、今この場で君に脱がされたいってあたしの中の女が言ってる感じ…」

「…そうか。悪いが、俺はこんな人目につき過ぎるところで女を裸にする趣味はねえ。場所変えるぞ」

「いいよ~」

2017/08/23

■51

日差しは昼下がりから夕方に差し掛かろうとしていた
香織はとりあえず落ち着いたようで、泣き疲れていたせいか虚ろな眼差しだった

「私ね…。あの人……小松さんと、つい最近まで体の関係を持ってたの」

「へえ…。付き合ってたわけじゃないんだ?」

「うん…。あの人は結婚してたし、子供もいた。最初はそれでも良かったの。彼と一緒に寝られるだけで幸せだったし、何よりも認められたかった。私にとっての憧れでもあったし、ネットワークをやる上でのモチベーションだったの」

「へえ…」

「でも、何度も肌と肌で触れ合っているうちにそれだけじゃイヤだって思うようになった。このままだと私はあの人にとって単なる都合のいい女でしかないんじゃないかって」

「小松さんにそういう自分の気持ちを伝えたことはある?」

香織は悲しそうに首を横に振る

「言えないよそんなこと…。言えたとしても、俺は妻子持ちの身だからって言われて終わるのは明らかだし…」

「そう、か」

「でも、利用されてるだけの関係だとわかっていても離れられなかったし、彼も私を離そうとしなかった…」

香織が俺と体の関係を持ったのは弱さ故なのだろうか?
それとも小松から離れるためだろうか?
かもしくはオールモストを辞めるための口実に俺を利用するつもりだったのだろうか?
いずれにしても真意は香織にしかわからない

「もしかして、怒ってる?」

「いや、別に…。ちょっと考え事してただけ」

「そう…。何を考えてたの?」

「まあ、色々とね」

「…言い訳に聞こえちゃうかもしれないけど、タカシ君をオールモストを辞めるための口実に使おうとか小松さんから離れるために利用するとかじゃないよ。私はホントにタカシ君のことが好きだから…」

それに関しては嘘ではなさそうだ
ただタイミング的に重なっただけなのだろう

「ああ。それは大丈夫」

「…良かった」

香織は心の底から安心したような表情だった
一般的に女性の方が男よりも感情が表面に出やすい

「ねえ…。体力回復してきた?」

ねだるような表情だった
どうやら第2ラウンドが始まりそうだ

「大分ね」

実際は香織を満足させられるほどは回復していなかった

「じゃあ。今度は私がタカシ君を気持ち良くさせてあげる」

香織は俺の頬を撫でながら、深く唇を吸って来た
思わず呼吸困難になるのではないかと思うぐらい深く、激しい口付けだった

しかし、不思議な安堵感があった
とりあえず香織に主導権を渡してみるのもいいかもしれない

2017/08/22

■50

小松はまだ東急スクエアの入り口付近で電話をしていた

「おう。俺だ」

『どうかしたか?』

大城の声が漏れてくる

「なあ、俺の一生のお願いを聞いてくれ」

『急にどうした?らしくねぇな』

「明神さんの連絡先教えてくれ」

『まだ疑ってんのか?』

「いや、間違いねえ。さっき電話しても繋がらなかったし、そのちょっと前に電話したときも声が、なんていうかこれからヤリますみたいな声だったんだよ」

『考えすぎじゃねぇか?』

「とにかく頼むよ」

『てかなんでそんなに必死になってんだ?香織ちゃんのグループからの売上げが上がらなくなるっつっても、お前だったらすぐにほかのグループを伸ばして売上げ上げたり出来るだろ?』

「いや、そういうことじゃないんだよ」

『じゃあ、どういうことだよ?なんか隠してねぇか?』

「んなことどうでもいいじゃん。マジで頼むよ」

『わりいが俺は力になれねぇよ。俺の性格は知ってんだろ?じゃあな』

電話が切れる音

「おい!」

電話を架け直すが、呼び出し音が響くばかりだった

2017/08/21

■49

小松が東急スクエアの入り口付近で電話をしている

『おかけになった番号は、電波のないところにおられるか、電源が入っていないためかかりません』

携帯電話のディスプレイには『石井香織』と出ている



「私…オールモスト辞めようかなって思って」

香織が俺の耳元でうわ言のように言ってきた
多少なりとも体力が回復してきたようだ

「元気になった?」

「さっきよりはね」

「良かった」

「オールモスト辞めんの?」

「…うん」

香織の視線が落ちる
辞めることに対してある種の罪悪感を感じているようにも見えた

「そうなんだ…。それなりに結果出てるように見えたけど?」

「うん、それはね…」

香織はなぜこのタイミングで言い出したのだろうか?

「まあ、辞める辞めないはカオリが決めたことだから、俺にはそれを止める権利はないしね。別に辞めたからって生活出来ないってわけじゃないと思うし」

「うん…。それはそうなんだけど…」

妙に歯切れの悪い言い方だった
香織の言葉の裏には何かが隠されている
俺は直感的にそう思った

「なんか、辞めることに抵抗を感じてるように聞こえるけど?」

「…」

香織の表情が目に見えて曇り出したのがわかった
伝え辛いことをどう伝えるか考えているようでもあった

「言い辛いことがあるんだったら、別に無理して言わなくてもいいよ。そういうのがあってもカオリのことを嫌いになったりしないし」

香織の目に涙が溢れ出してきた
俺の言葉で気持ちが緩んだのだろうか?

「……ありがとう。大丈夫……。でも、今言わないとずっと言えなさそうだから、言うね」

香織の頬を涙が伝い、俺の肩を濡らし始める
冷たかった
俺は指で香織の涙を拭った

「ああ…」

「………私ね…………」

香織の唇が震え出し、目からは涙が止めどなく流れて来た
これでは二の句を告ぐのは極めて難しそうだった
俺は香織を抱きしめ、落ち着くまで待つことにした
何も焦って聞くようなことでもないだろう

「……ごめんなさい」

香織は俺の腕の中で啜り泣き始めた
一体どのようなことなのだろうか?
言わなくてもいいとは言ってみたものの、内心ではかなり気になっていた
おそらくいい事ではないことは想像に難くなかったが…

2017/08/20

■48

俺の目の前には一糸纏わぬ姿の香織がいた
無論俺も生まれたままの姿だった

今この空間の中で2人を妨げるものは何もない
強いて言うなら羞恥心だろうか?

「…あっためて」

「寒い?」

俺は香織の手を握り、額をくっ付け合った

「…大丈夫」

香織は上目遣い気味に俺を見つめた
完全に性的に興奮している目だった

「…キスして」

甘えるような、ねだるような何とも言えない声だった
そのまま口付けしようかと思ったが

「どんなキスがいい?」

直感的にそのままキスするのは面白くないと思った

「…どんなキスしてくれるの?」

「それはしてからのお楽しみ」

俺は香織の唇を音が出るほど激しく吸い、舌を絡め合った
香織は俺の背中に手を回してきた
心なしか舌の絡め方もより艶かしくなってきた気がした
俺も香織の背中と腰に手を回し、弄った

「くすぐったい…」

香織は俺の唇から離れ、肩で息をしていた
体は熱を帯びていた
俺は香織のポニーテールを解いた

「まだ寒い?」

首を横に振る香織

「…タカシ君は?」

「寒さなんてもうどっかに行ったね」

「そう…。よかった…」

香織は俺の手を握り締めながら、布団の上に体育座りをする
俺も合わせてしゃがみ、掌を合わせるように手を繋ぐ

足を曲げたままゆっくり仰向けになる香織
俺はそのまま香織の中に入った
柔らかく、温かった

「…気持ちいい…」

香織の声はかすれており、消え入りそうだった
目を閉じて、あらゆる感覚を総動員して俺を受け止めようとしているようだった
体も小刻みに震え始めていた

俺はゆっくり腰を上下に動かした
香織の体がそれに呼応する形で小刻みに震え出す
繋いでいた手を俺の腰に回してきた
少しくすぐったかった

俺も手を香織の背中に回し、徐々に動きを早くしていった
香織は曲げていた足を伸ばしたり、元に戻したり、閉じたり、開いたりを繰り返していた
息遣いも徐々に荒くなり、俺の腰に回している手にも力が入ってきた

「……して」

香織が何かを言っているようだったが、よく聞き取れなかった

「え?」

「なんで止めちゃうの? 気持ちいいのに…」

基本的に男は1つのことに集中してしまうと、ほかのことは出来ないようになっているようだ
俺も例外ではない

「何か言ってなかった? よく聞き取れなかったから」

「…もっと、激しくしてほしいな…」

「ああ。痛かったら言ってよ」

「うん…。大丈夫…」

俺はより深く、より早く、香織の中に入ったり出たりを繰り返した
香織は足を曲げたまま、しがみ付くような形で俺の肩甲骨あたりを掴んでいた
足は完全に開脚の状態になっていた

香織の息遣いは相当荒く、言葉にならないかすれ声も発し始めていた
俺の背中に回している手にもより力がこもり、体の密着度も高くなってきた

「……カシ…。は……。い……。あ……。……きそう」

どうやら絶頂が近付いて来ているようだった
香織の声はかすれていたが、艶っぽさは増していく一方だった
とても演技で出せるような声ではなかった

俺も次第に思考能力と体の感覚がなくなっていくのを感じた
やはり、毎日椅子と友達になるような仕事をしているからだろうか?
だとしたら情けない話だ
下手をすると香織が絶頂を迎える前に俺が果ててしまう可能性も高くなってきた

「あ……。い……。い…。……く」

どうやら香織は到達したようだった
小刻みに震える体と脱力していく感触が俺の背中に回している手と密着させている肌、そして下半身から伝わって来た
曲げていた足も伸ばしていた
それとほぼ同時に俺も体の力が抜け、崩れ落ちるような感覚とともに逝ってしまった

香織は状況を察したのか、肩で息をしながらも優しく抱きしめてくれた
おそらく香織も腕に力が入らないはずだ

俺は完全に思考が停止しており、体も動かなくなっていた
もはや感知できるものは香織の柔らかく温かい体と下半身から流れ出ていると思われる冷たい液体だけだった

「…大丈夫?何か…急に力が抜けた…みたいになったけど…」

耳元で、搾り出すような香織の声が聞こえてきた

「ああ…。たぶん…」

「…体、動かない…。こんなの初めて…」

「そうか…」

「でも…。何か…。すごく…」

「いい?」

「うん…。そんな感じ…」

何を言っていいかわからなかった
何も言葉が出て来なかった

「ねぇ…」

「ん?」

「何か喋って…」

「何かって、何を喋ればいい?」

「何でもいいよ…。声が聞きたい…」

「俺の?」

「うん…」

やはり言葉は出て来なかった
香織の温もりが感じられるだけでよかった

「…一休みする?」

「そうだな…」

香織は頬を摺り寄せ、伸ばしていた足を絡ませてきた
柔らかい抱擁だった

2017/08/19

■47

小松は外を眺めながら落ち着かない様子でタバコを吸っていた
携帯電話が鳴る
1コールで電話に出る

「もしもし」

『電話したぁ~?』

真奈美の舌足らずな声が聞こえてきた

「ああ。例のメールの件で話がある」

『あぁ~あれね。疑ってんの?』

「まあな」

『とりあえず~。信じる信じないは勝手だけど、あの写メは合成とかしてないからね。それに~。ケータイでそういうことってやるの難しいと思うし』

「そうか…」

『ほかに何かある~?』

「…そうだな。…いや、特には」

『ふ~ん…。今何か考えてなかった~?』

「まあな。俺は常に色々考えてるからな」

『あっそ。ちなみにあたしは条件次第では協力してあげてもいいよ~?』

「いや、間に合ってる」

『言うと思った。じゃあ、金ズル増やし頑張ってね~』

「お前みたいな目先の快楽しか見てないやりマンに言われたくねぇんだよ…」

『何その言い方~。君だって人こと言えないでしょ~?』

「俺はこのビジネスで飯食ってるし、家族も養ってる。お前は両方とも出来てないだろ?」

『…』

「ホントのこと言われて何も言えないか?まあ、ルックスだけで生きていけると思わない方がいいぜ?」

電話の切れる音
鼻で笑う小松

2017/08/18

■46

顔をしかめながら電話をしている真奈美
呼び出し音が鳴るばかり

携帯電話の画面には『マコト』の文字が点滅している
溜息をつきながら電話を切る



俺は部屋の鍵を開け、香織を招き入れた
1人暮らしをするようになってちょうど3年目ぐらいだろうか
この部屋に女性を連れてくるのは初めてだった

「男の人の部屋じゃないみたい。あ、もしかして布団敷きっ放し?」

「まさか、こうなることは想定外だったからね」

「ベッドにしなかったんだ?」

「部屋を広く使いたかったしね」

「ふ~ん…」

ベランダまで歩いていく香織

「へえ…。眺めは悪くないね。あ、富士山も見える」

香織は楽しんでいるようだった
基本的に俺は物を持つのがあまり好きではない
そのため、部屋が整然としているように見えるのだろう

「ホント、天気いいね…」

香織の声が甘さを帯び始めて来た
俺はコートを脱ぎ、香織の背後に立った

「…あったかい」

香織は俺を振り返らず、誰に言うともなく言った

「太陽のこと?」

俺はまだ香織の体には触れていなかった

「うん…」

俺は香織を背後から抱きしめた
香織も俺の手を握ってきた
温かった…

「手、冷たいね…。さっき、ずっと手繋いでたのに…」

「小さいときから寒くなると勝手に冷たくなるんだ」

「そうなんだ…。今はどう?」

「大分温まってきたよ」

「良かった…」

俺は香織のコートのボタンを外そうとした

「…カーテン閉めてもいい?」

「恥ずかしい?」

「ちょっとね…」

カーテンと言っても、入居したときに初期装備だった紙素材のものだった
あくまで臨時的なものというものだった

「タカシ君、めんどくさがり?」

「まあ、適当なとこは適当だね」

「部屋を見たとき、そうだと思った」

カーテンを閉め、俺の方に向き直る香織
太陽の光とカーテンの色が合わさって香織の顔色が小麦色になっていた

「キレイだね…」

「ありがと…」

俺は香織のコートを脱がした
香織は黒いハイネックセーターを着ていた
コートに隠れていたボディーラインはやはり美しかった

2017/08/17

■45

スタジオアルタ前にある広場で電話をしている真奈美

「えぇ~?なんでぇ~?今日約束したじゃん。…もしかして、あたしがセミナー途中で帰ったからとかなの?う~ん…。あっ!ちょっと」

電話の切れる音。慌てて架け直すが、呼び出し音が鳴るばかり
タバコに火を点けようとする真奈美
ガスが切れているせいかなかなか火が点かない

「…最悪」



京王八王子駅のベンチに俺と香織は手を繋ぎ、お互い寄り添うように座っていた
時計を見ると、まだ13時だった
にも関わらず既にデート後の仕上げを残すのみというような雰囲気になっていた

「まだ1時なんですね…」

「そうみたいですね…」

「明神さんはどこに住んでるんですか?」

「駅から3分ぐらいのとこに住んでますよ。来ます?」

「そうですね…。行ってみたいですね」

「じゃあ、行きますか」

そう言ってはみたものの、なかなか腰が上がらなかった
どうやらさっきまでの余韻が残っており、動く気が起きなかった

「…私は、もうちょっとこうしてたいです」

香織は俺の手をくすぐるように握り返してきた
香織に限らず女性の手はなぜこんなに柔らかいのだろうか?
男より脂肪分が多いからと言われてしまえばそれまでだが…

確かにまだ仕上げに持っていくには、あまりにも時間的に早すぎるだろう

「明神さんは…下の名前は何ていうんですか?」

香織の声は甘く、うわ言を言っているような感じだった

「崇(タカシ)ですね」

「…タカシ君て呼んでいいですか?」

「いいですよ」

「敬語で話すのも止めにしません?」

「それも、そうだね。…カオリって呼んでいいのかな?」

「…うん」

香織の携帯電話が鳴る

「出なくていいの?」

頷く香織

「…こんなときに電話してくる方が悪いよ」

「それもそうだな」

確かにこの状況だったら俺も電話などに出るわけがない

「だって…。大事な用だったら、電話に出なかったらメールとかするはずだよね?」

「確かに」

香織の携帯電話が先程とは違った音で鳴る

「どうやら、重要な用かな?」

「…邪魔しないで欲しいなぁ」

不満そうに携帯電話を見る香織

「何これ…。真奈美がこんなメール送って来たよ」

「ん?」

香織から差し出された携帯電話を見てみると、『お二人さんラブラブだね~』と書かれており、俺と香織が手を繋いで歩いているように見える後姿の画像が添付されていた
大分遠くから撮ったのだろう
中野サンプラザから帰るときに途中まであとをつけて来たに違いない

「あの子は一体何がしたいのかな…」

「ん~。俺は今日会っただけだから何ともわからないな」

「あれ? 着信は小松さんからだ」

「あの子からじゃなかったんだ」

「何だろう…。今日のセミナーのことかな…」

「たぶん」

「一応電話しとこうかな…」

「だね」

電話を架ける香織
すぐに小松に繋がったようだった
まるで香織からの折り返しを待っていたかのようなタイミングだった

『もしもし』

「お疲れ。電話があったみたいだけど?」

『おお、そうそう。セミナーどうだった?』

「う~ん…。あんまり面白くなかったな。真奈美もセミナーが始まってすぐに外に出ちゃったし」

『そうなんだ。真奈美のアップには会った?』

「いや、会ってないよ。というか来てなかったみたい」

『ダウンが動員してんのに、来ないとはね…。そいつアップ失格だね。今八王子にいるの?』

「今新宿だよ」

明らかに嘘だった
構内アナウンスがかかっていなかったため、小松には嘘だとはわからないだろう

『そっかあ。今日さ、香織ちゃんのグループの子のマケ入ってたんだけど、決まんなくてさ。今度は決めるよ』

「まあ、上手くいかないときは誰でもあるからね」

香織は早く電話を切りたがっているようだった
声のトーンには出てはいないようだったが

『おう。ありがとう。とりあえず状況はわかったよ。じゃあ、また』

「うん。お疲れ」

電話を切る香織

「予想通りって感じ?」

「うん。まあ、アップ的に気になるのは当然だしね。相変わらず話は長かったけどね」

「早く切りたい感が思いっ切り出てたけどね」

「さすが、お見通しって感じ?」

「俺は電話越しで相手の心理とかを読んだりするからね。軽く職業病かもしれないな」

「すごいね…」

「でも、カオリも声には出してなかったよね?」

「うん。そうしないように頑張ったよ。ちゃんと出来てた?」

「問題ないと思う」

「良かった…」

微笑む香織
その笑顔には包み込んでくれるような優しさが感じられた

2017/08/16

■44

俺はいつの間にか眠ってしまっていたようだ
電車は格好の睡眠場所でもある

香織は俺の肩に顔を乗せて眠っていた
俺も香織に体を預けて眠っていたので、お互い様と言ったところか…

傍から見れば恋人同士に見えただろう
真奈美の言っていたことは嘘ではなかったようだし、俺も薄々感じていたことでもあった

ちょうど高幡不動駅だった
どうやら俺たちが乗っている車両の乗客は2人だけのようだ

香織は完全に熟睡しているようだった
全体重を俺に預けており、寝息も聞こえた
付けている香水は相変わらずいい香りだった

俺は香織の唇にキスをしたくなる衝動を堪えるのが難しくなってきた
おそらくリップグロスの味がするのは明らかだったが、それでも構わなかった

香織の寝顔はかわいくもあり、何より美しかった
今まで何人の男がその唇を吸ってきたのだろうか?
香織にとっては俺もそのうちの一人になるのだろうが、それをキッカケとして、一生を共にすることになるかどうかは正直わからない

香織はうっすらと目を開け始めた
俺はまさに香織に口づけをしようとしていたところだった
香織は驚く素振りを全く見せず、待ってましたと言わんばかりに微笑んだ

俺はそのまま軽く香織の唇に触れた
目を閉じる香織

やはりリップグロスの味がした
乗客がほかにいないとは言え、一応公共の場なので、この続きは八王子に着いてからにしようかと考えていた

俺は香織の唇から離れようとした
それを察したかどうか定かではないが、香織は俺の肩を掴み、さらに唇を重ね合わせてきた
こうなってしまうと、俺も悲しき男の性を抑えるのが極めて難しくなってしまう
ちょうど電車も発車し始めていた

俺も香織の背中に手を回し始めていた
誰かが見ていようと関係なかった
もはや完全に自分たちの世界に入っていた

見えているのは香織の気持ちよさそうな顔だけだった
あとはひたすら内側から湧き上がる感情と唇の感触に身を委ねるだけだった

香織も俺の背中に手を回し始めていた
まるで、そのまま次の段階に進んでしまいそうな勢いだったが、俺は端に座っていたので、その心配は無用だったが…

香織はひたすら俺の唇を吸っていた
おそらく京王八王子駅に着くまでこのままの状態が続くのはほぼ確実だった

2人だけしかいない電車の中でのラブシーンというのも案外悪くないかもしれない

2017/08/15

■43

小松は八王子の東急スクエア最上階にあるスカイラウンジにいた
窓際の席で顔をしかめながらタバコを吸っていた
テーブルには無記入のオールモスト社の会員登録用紙が置かれていた

携帯電話が鳴る
真奈美からメールが来たようだった

『香織が男に走っちゃったよ~。信じる信じないは勝手だけど』

添付ファイルは香織と明神が並んで歩いている後姿を撮った写真だった
心なしか手を繋いでいるようにも見えた

「…」

『もしもし…』

大城の眠そうな声

「今大丈夫か?」

『ああ…。どうかしたか?』

「今日さ。明神さんと香織ちゃんと一緒にフューチャーズに行ったんだよな?」

『ああ。そうだけど…。それが何か?』

「明神さんと香織ちゃんてどんな感じだった?」

『いや、いつも通りだったけどな。あの二人がどうかしたか?』

「そうか。ならいいんだが…」

『あれか?あの2人がくっ付くことを恐れてんのか?』

「恐れてるってほどじゃないけど、ちょっと気になってな。さっきも妙な垂れ込みがあったしな」

『へえ…。真奈美か?』

「ああ、そうなんだよ。なんか香織ちゃんと明神さんが手繋いでる写真を送って来たんだよ」

『でもよ。男と女なんだし、そういうのは多少はしょうがなくね?別にそれで動かなくなるってわけでもねえだろうし』

「いや、それが動かなくなることが圧倒的に多いんだ。これはほぼ100%と言ってもいいくらいなんだ」

『そうか?考えすぎなんじゃね?むしろ好き同士がくっ付くことで2人3脚で相乗効果が生まれそうだけどな』

「いや。俺も今まで色んなヤツ見てきたけど、それが驚くほど共倒れで終わってるんだ。動かなくなるってことは給料が入って来なくなるわけよ」

『まあ、確かにそうだけどよ…』

「マジかよって感じだぜ。明神さんはまだ日が浅いし、ダウンもいないからそれほどでもないけど、香織ちゃんは痛いって」

『でも、まだくっ付いたかどうかわかんねえだろ?それに真奈美の情報なんて当てになるか怪しいもんだぜ』

「真奈美は意外とこういう情報は当たるんだよな。今日さっきまで香織ちゃんのダウンの子をマケしたんだけど、珍しく決まんなかったし。ヤバイって、マジで」

『てか決めつけすぎるには情報が少なすぎると思うけどな』

「ああ、まあそうだな。とりあえず恋愛はヤバイ、マジで。何かしら手を打たないと」

『でもよ。そういうのって止めようがねえだろ?どうしようもないことだしさ。確かにダウンが減るってことは自分の取り分にモロ影響出るってのはわかるけどよ』

「何とかするよ。とにかくヤバイ…。とりあえずありがとう。じゃあ、また」

2017/08/14

■42

JR八王子駅の改札口から大城が出てくる

ちょうど小松がいつもの格好で足早に歩いていくのが見えた
小松は急いでいる様子で、大城に気付くことはなかった

大城は小松に気付き、携帯電話を取り出そうとしたが、思い直したようにしまった



真奈美は中野サンプラザ前で電話をしていた

「いや、なんかね~。1人バックレられちゃってぇ。そんなことないって。うん…。まあ、そうだね。1人はあたしの直ダウンで~、もう1人はそのバックレたヤツのダウンみたい。うん…。確かに変な組み合わせだけど~。最終的にはあたしのダウンが増えればそれでいいし。うん…。外にいるよ。だって、つまんないじゃん?どうせよくありがちなエピソードばっかだし。う~ん…。わかったよ。戻るよ。外も寒いし。うん、じゃあね~」

面白くなさそうな様子でルイ・ヴィトンのシガレットケースからタバコを取り出し、ジバンシイのライターで火をつける真奈美



壇上には十人ほど横一列に並んでおり、司会がテンション高めに一人一人を紹介していた

俺は最後列に座っていたため、全くと言っていいほど顔が見えず、しかもこういった群集心理が働くような場では逆に冷静になってしまう
あまりにも狙いというか意図が見え過ぎてしまうため、全くと言っていいほど乗れないのだ

これからの流れは、壇上に上がっている人たちのいわゆる在り来たりなサクセスストーリー的な話がひたすら続くことだろう
基本的に興味のないことに関してはとことん無関心になってしまう

今回のセミナーに関しても同様で、招待してくれた真奈美には申し訳ないが、すぐにでも立ち去りたかった

香織がノートを俺の膝に置く
何だろうか?

俺は一瞬何が起こったのかわからなかった
香織を見るとノートを指差した
ノートには『私も今ものすごく帰りたいです!』

どうやら俺の思っていたことを香織は察したようだ
確かに今回は口にこそ出さなかったが、おそらく態度や雰囲気に出てしまったのだろう

俺もノートに書き込むことにした

『じゃあ、帰りますか? あの子戻って来なさそうだし』

『でも、コートとバックがあるんで戻ってくるんじゃ?外も寒いし』

『そういえばそうすね。じゃあ、あの子に渡して帰りますか?』

『それ、乗ります!』

香織は楽しんでいるようだった

俺と香織は会場を後にすることにした
ちょうど外から入ってくる真奈美とバッタリ鉢合わせする形になった

「あれ?なんであたしのコートとか持ってんの?」

真奈美はとにかくタバコ臭かった
おそらくついさっきまで何本も吸っていたのだろう

「ん?寒いんじゃないかって思ったから、持って来たんだけど。必要なかった?」

「いや…。そういうわけじゃ、ないけど…」

真奈美は寒さで口が回らないせいか、舌足らずな口調がより強調されていた

「とりあえず、これ渡しとくね」

香織は持っていたコートとバックを真奈美に押し付けるように手渡した

真奈美は状況がよく掴めていないような状態だった
おそらくセミナーの内容に興味が持てなかったのだろう
真奈美にとっては寒さと会場にいるのとでは、寒さの方が数段マシだったに違いない

「…帰っちゃうの?」

「うん。だって真奈美が楽しめないものを私たちが楽しめると思う?Bさん失格だよ」

そのままスタスタと歩いていく香織

「…」

さすがの真奈美もショックを隠せない様子だった
目の焦点が定まっておらず、表情は抜け殻のようになっていた
香織から渡されたコートとバックも今にも落としそうだった

「まあ、人に勧めるんだったら、もっと自分自身が心から楽しめるものにした方がいいと思いますよ。自分たちに限らず、人間て興味の持てないものに時間を費やせるほど優秀じゃないはずなんで」

どうやら真奈美は完全にほかのことを考えているようだった
俺の言葉はおそらく届いていないだろう

香織は立ち止まることなく歩いていた
とりあえず俺は香織の後を追った方がよさそうだ
何よりも早くこの場から立ち去りたかった

「では」

「…アイツは、気をつけた方がいいよ」

真奈美の言い方がうわ言のようだったため、何のことかよくわからなかった

「アイツとは?」

「アップラインだよ」

大城のことだろうか?
それとも小松のことだろうか?
おそらく後者の可能性が高いと思われるが、特に言及する気にはならなかった

「香織はあんたのこと好きだよ。アイツは人を金だと思ってる」

真奈美は誰かに話すような口調ではなく、独り言のように話していた
無論俺も5割から7割ぐらい聞き流していた
真奈美は置いて立ち去ることにした

2017/08/13

■41

会場は既に満員だった
クラシックコンサートに使われることもありそうなホールで収容人数は少なく見積もっても1000人はいけそうだった

俺と香織の席は既に予約済みだったようで、真奈美がハンドバックとコートで席を取っていた
場所はちょうど最後尾だった

「お二人さんが隣同士になるような席を用意しといたから」

通路側に座っていた真奈美は相変わらずニヤニヤしていた
どうやら香織のうろたえる反応を面白がっているようだった

「そう。どうもありがとう」

一瞬真奈美に面白くなさそうな表情が浮かんだ

香織はいつも通りのナチュラルさで受け流したようだった

「あ、電話だ」

真奈美は携帯電話を片手に席を立ち、会場の外に出ていった
どうやら、香織が思った通りの反応を示さなかったのが、気に入らなかったようだ
人間は一瞬見せる表情で全てを物語ってしまえる生き物だと思わざるを得ない

とりあえず俺は一番奥に座ることにした
香織はその隣に座った
ちょうど司会がスピーチを始めたところだった

2017/08/12

■40

俺と香織はようやく中野サンプラザの前で真奈美に追いついた
追いつくやいなや、真奈美はまるで待っていたかのように立ち止まる

「お二人さん。お似合いだね」

真奈美は全く振り返ることがなかったが、声のトーンから判断するに、いたずらっ子のようにニヤニヤしていることだろう

「え?」

一瞬香織の表情にうろたえが出た気がした

「な~んか、並んで歩いてるとすごい絵になるんだよね~。凸凹じゃないし、オシャレだし、ね…」

初めて振り返る真奈美
やはり、いたずらっぽくニヤニヤしていた

一体どのタイミングで見ていたのだろうか?
確かに俺は香織と並んで歩いていたし、気分が良かったのも否定はしないが、真奈美は全くと言っていいほど見向きもしなかったし、歩くペースを落とそうとする素振りもなかったのだ

「そう、かな?」

「あれぇ。今の間は何かなぁ?」

からかうように香織を覗き込む真奈美

香織の表情に困惑の色が出始めて来たのを感じた俺はさりげなさを装ってとっさに携帯電話を見た

時間は10時10分前だった

「もうすぐ時間なんじゃ?」

「あ、ホントだ~」

真奈美も携帯電話を見る

「無理は体に毒だよ。カ・オ・リ」

香織の顔からは笑顔が完全に消えており、視線も地に向かっていた

「大丈夫ですか?」

「気にしないでくださいね。真奈美はああいう子なんで」

どうやら香織は俺の気持ちを気遣ってくれていたようだった

基本的に俺は細かいことに拘らない性格で、人に対して不快感を感じることもなく、実際真奈美に関してもご他聞に漏れずだった

「ああ、お構いなく。どういう子かは今までのやり取りの中でわかりましたし、自分も特に気にしてないので」

「そうですか…。良かった。あの子は馴れ馴れしいところがあるんで」

「まあ、確かに」

香織の顔に笑顔が戻りつつあるようだった
個人的にはさっきの下向き加減な表情も美しいと思った
真奈美にお似合いと言われたのも正直悪い気はしなかったが

2017/08/11

■39

日曜の午前10時15分
俺は大城と待ち合わせする約束をしたJR中野駅北口の改札口付近に着いた

前日は近所のスーパーで購入したスミノフを飲んで寝たにも関わらずちゃんと起きることが出来た
適度な飲酒は体にいいと言われるが、案外間違いではないかもしれない
だてに百薬の長と言われていないものだ

今日はいつもよりは多少セミフォーマルな格好を心がけてみた
とは言え、ブーツをビジネスシューズ的な革靴に履き替えるぐらいのものだった

基本的に普段からジーパンやスニーカーは着たり履いたりしない方だ
俺のお気に入りは映画マトリックスに出てくるようなコーディネートで、普段から黒のロングコートやハイネックばかり着ることが多い

改札口付近は日曜日の割に人が多い気がした
しかも、大半の人たちは同じ方向に向かっているようだった
彼らの動きを試しに目で追ってみると、中野サンプラザに向かっているようだった
年代は幅広かったが、なぜか彼らが発するものは一様に同じ気がした

待ち合わせは10時半だったので、15分ほど時間が空いてしまった
空いた時間を有効活用出来る場所を探そうかと思ったそのとき、香織がやってきた

「あれ?おはようございます」

時間が早いせいか若干眠そうな様子だったものの、相変わらず屈託のない自然な笑みだった
今日はこないだのセミナーとはまた違った格好だった

髪型はポニーテールで、コートやブーツはこの間のものと同じだったが、今日はスカートではなく、ジーンズだった
コーディネートといい、色使いといい絶妙だった
香織は何をやるにしてもセンスのいいタイプに違いない

それに、今日はどうやら香水を付けているようだ
濃いめの甘い香りだったが、ただ甘いだけでなく、スパイシーさやフルーティーさも併せ持っている不思議な香りだった
個人的には好きな香りだった

「どうも」

「大城君と一緒じゃないんですね」

「そうすね。基本単独行動好きなもんで」

「あそこ…。えっと名前が出てこない…」

香織は中野サンプラザを指差している

「中野サンプラザですね」

「そうそう!今思い出しました。そこ行くんですよね?」

「ですね。大城からは他社に乗り込むとしか言われてないんですよ」

心なしか香織のテンションが高い気がした

「じゃあ、会社のこととか今日の目的とかも知らない感じですか?」

「そうすね」

「そっかぁ…」

俺は改札口の奥を見たが、大城が来る気配は全くなかった

「大城君とは何時に待ち合わせしたんですか?」

「10時半ですね」

俺は眠かったのと、仕事外ということもあり、口数は少なかった
普段からそれほど喋る方ではない
ならば、なぜ話す仕事をしているのかという声が聞こえてきそうだが、今やっているオペレーターの仕事は確かに口数の多い仕事だが、仕事の大半は一人で出来てしまうのだ
協調性のない俺でも出来る数少ない仕事でもある

「まだちょっと時間ありますねぇ…。立ち話も何なのでどっかでお茶しません?」

「別にいいすよ。俺もこれからどっかに入ろうかと思ってたとこなんで」

「どこ行きます?」

「実は中野ってほとんど来ないので、全然わかんないんですよ」

「私もです。とりあえず目の前の商店街っぽいところに何かありそうですよね。よし。行っちゃいましょう」

言い出すやいなや歩き出す香織
どうやら朝からエンジンが全開のようだ
しかし、不思議と嫌な気がしなかったし、俺にも香織の元気が伝染したようで、目も覚めてきた
そして、何よりも気分が良かった

「おう。早いな」

大城の声が聞こえた
振り返ると自動改札からちょうどこちらに向かってきていた
香織は俺が来ないことに気付き、戻って来た

「あ、大城君だ。おはよう」

「おう。真奈美から声かかってたんだ?」

「うん。まあ、私はあの子の直紹介だしね」

「ああ。そっかそうだよな」

俺は事情が全くわかっていなかったので、彼らの会話を黙って聞いていた
大城がそれを察したかのように

「いやな、今回の話は香織ちゃんの紹介者の真奈美って子から持ちかけられてたんだわ。ちなみに真奈美はオールモストにも登録はしてるみたいだが、今はもう動いてないらしい」

「へえ…」

「んで、これから乗り込むフューチャーズっていう会社にも登録してるみたいなんだ。まあ、俺らに声をかけた理由は…まあお前ならわかるだろ?」

「ああ、そうだな」

香織は改札から出てくる人の流れを見ているようだった
時間はちょうど10時25分になっていた

「真奈美はまだ来ねえだろ。自分の都合を最優先するようなヤツだし」

「いや、来たみたいだよ」

「マジ?」

大城も改札を見た
ちょうど真奈美が改札から出てくるところだった

「あ、もう来てたんだ~」

鼻にかかった何とも言えない甘ったるい声だった

「遅くね?」

「んなことないよ~。だってまだ10時半になったばっかりじゃん」

口を尖らせて上目遣いになる真奈美
いわゆるアヒル口だった
身長は155センチぐらいで、香織よりも低いだろう

ルイ・ヴィトンのモノグラム柄のハンドバックを持っており、髪型はショートカットの癖毛で色はオレンジがかった茶髪だった
服装は黒のピーコートにタイトな黒のミニスカート、黒のタイツに赤のショートブーツというものだった
ブーツはヒールが高めで、丈は足首ぐらいだった
髪の色とブーツ以外は全て黒という格好だったが、着こなしが上手いのと自分が似合う色をわかっているせいか違和感は感じなかった

どちらかと言えば男好きのするタイプだろう
目鼻立ちはハッキリしており、おにんぎょさんという感じだった
それに、声が鼻にかかっているだけではなく、何とも言えない独特の甘さがあった
舌足らずなせいかもしれないが…

「あ、香織おはよ~」

ニカっと笑ってみせる真奈美
さきほどの表情もそうだが、どうやら真奈美は自分の中の女を効果的に使うのが上手いようだった
意図的にやっている感は否めなかったが、不思議と嫌みさはなかった
今までの経験から身に着けたものなのか、先天的なものかはわからないが…

「おはよ」

香織は真奈美に対してあまり良い感情を抱いていないようだった

「はじめまして、ですよね?」

小鳥が首を傾げるような仕草で俺を見る真奈美

「ですね。明神と言います」

我ながら愛想の欠片もない挨拶だと思った
基本的に俺は真奈美のようなタイプに好意を抱くことはない
まだ、第一印象でしかないが、無邪気さの仮面を被ったご都合主義兼現金主義な臭いを感じたからだ
極力表情や声のトーンにそれを感じさせないようにはしたつもりだったが…

「あたし、小泉真奈美です~。一応オールモストに最近まで登録したりしてました~」

どうやら真奈美には伝わっていないようだった

「へえ…。最近までということは、今は違うところに登録してるってことですか?」

「そうですよ~。これから中野サンプラザでセミナーがあるフューチャーズっていうとこです。すごくいいですよ~。いる人たちも会社も」

大城と香織は明らかに面白くなさそうだった
一体真奈美と何かあったのだろうか?
今まで黙っていた大城が不愉快そうに口を開いた

「いいかどうかはよ。俺らが決めることだ」

「もしかして、怒ってる~?」

「怒ってねえよ」

香織は黙っていたが、不愉快な気持ちを隠そうとしていなかった
俺は彼らの間に何があったのかは全くわからなかったが、おそらく人間の醜いエゴが原因となっていることは想像に難くなかった

「ふ~ん…。とりあえず会場は開いてるから行こうよ~。こんなとこに立ってたら寒いし」

真奈美は場の空気の悪さを感じ取ったのだろう
確かに俺も若干息苦しさを感じていたので、場所を変えたいとは思った

「まあ、それもそうだね。行きましょう」

香織もおそらく同じ気持ちになったのだろう
さっきまでの不愉快な表情が幾分和らいだ気がした

「…」

大城はまだ気持ちが収まらないようだった
既に真奈美は歩き出していた
それにワンテンポ遅れる形で香織が続く

「行かないのか?」

「…あとで行く。場所はもうわかってるしな」

「そうか…」

俺と大城が続かないのを気付いた香織が振り返る

「まあ、好きにしてくれ」

俺は香織の後を追うことにした
こういう状態になると大城はどうしようもなくなる
付き合いの長い俺でも動かすことが出来ない

「大城君。どうしちゃったんですか?」

「自分は事情をよく知らないので、なんとも言えないですけど、なんとなくあの子が気に入らないんじゃないですかね」

真奈美はこちらを振り返ることもなく、スタスタと歩いている

「困ったもんですねぇ」

「ああなると、もうどうしようもないんですよ。アイツの気の済むようにしてやった方が一番いいので、とりあえず自分たちは会場に向かいましょう」

「まあ、付き合いの長い明神さんが言うならどうしようもないですね。にしても真奈美ってホントマイペースな子ですよね」

大城はどうやらガードレールに座ってタバコを吸い始めているようだった
おそらく今日はもう会場には来ないだろう
基本的に頑固で融通の利かない不器用な性格で、自分のポリシーに反することや筋違いと感じることに対しては全くと言っていいほど首を縦に振ることはない

「石井さんは小泉さんの直紹介だって聞きましたけど、元々友達だったんですか?」

「そうなんですよ。高校の友達ですね。オールモストは久しぶりに真奈美と会ったときに聞いたんですよ」

「ああ、やっぱり。自分も大城から同じような状況で話を聞きましたね」

「みんな同じなんですね。いきなりなんだ?って思いませんでした?」

「まあ、それは思いましたね。でも、大城がすごく楽しそうに語ってたので、疑いの気持ちはすぐになくなりましたね」

「私も同じなんですよ。真奈美をここまで楽しそうにさせるものは何だろうって思って。あの子ああいう感じなんで、また新しい彼氏の話を始めるのかなぁって思ったら、オールモストの話だったんですよ」

「なるほど。まあ、確かに男はああいう子好きですからね。自分は逆に裏を見てしまう方なので、特に特別な感情は持たないですけど」

「へえ…。どんな子が好みなんですか?」

「う~ん…」

俺はどちらかと言うと、相手を見た目よりも話してみたときのフィーリングが合うかどうかで決めることが多い
しかも、その幅も広いので、付き合う相手も毎回違ったりすることが多かった
唯一共通点があるとしたら、長続きしないことだったが…

香織は俺の口から言葉が発せられるのを待っているようだった

「好みって言う好みはないですね。基本的に話してみたときのフィーリングで決まりますね」

「中身重視な感じなんですね。明神さんてたいていの子とだったら合わせられそうな気がしますよね」

「まあ、基本的にあんまり細かいことに拘らないんですよ。人の好き嫌いもそんなにないですし、でも自分を嫌いという人間は意外といたりしますけどね」

「そうなんですか?信じられないですね。明神さんみたいな人を嫌うなんてもったいないですよねぇ」

「まあ、それはしょうがないですよ。人はそれぞれ好みが違うものなんで」

「確かにそれはそうですね」

気のせいかもしれないが、香織は俺と話すことに対してある種の心地よさを感じているような印象だった
最もそれは俺が香織に対しても同じようなことを感じているからかもしれないが…

2017/08/10

■38

香織はベランダから外を眺めながら電話をしている
電話からは真奈美の声が漏れてくる

『香織も明日の話聞いたら、絶対フューチャーズやりたくなると思うよ~。だって、あの男みたいな自分のやり方を押し付けるような人いないし~。すごく柔軟でやりやすいよ~』

「そうなんだ」

『うん。間違いないよ~。あたし今メンバーの人と付き合ってんだけど~、何か言われたことないし』

「え?マコト君とは別れたの?」

『別れてないよ~。ていうか、なんか浮気してるみたいだから~、お互い様って感じ?どうせ~、今付き合ってる人も所詮恋愛相手だしね』

「へえ…」

『香織は彼氏作んないの~?』

「う~ん。今のところはね。私はオールモストで生活出来るようになってからでいいかなって思うし」

『そうなんだ。でも、無理はしない方がいいよ~。男と女は何が起こるかわかんないしね~。いつ何がキッカケで男女の関係になるかわかんないしね~』

「…」

『あたしの彼氏はもうフューチャーズ1本で生活してるし、イケメンだよ~。明日紹介するからさ~。じゃあね~』

電話の切れる音
香織は深い溜息をつく

2017/08/09

■37

「お客さん。終点ですよ」

俺は一瞬自分がどこにいるかわからなかった
駅員の声が夢の中で聞こえているような気がした

どうやら京王八王子に着いたようだ
新宿駅始発の電車に乗るやいなや深い眠りに落ちてしまったようだ
電車から降りて、携帯電話のサブディスプレイを見ると22時半になっていた
駅員に起こされたときは内心では慌てていたが、表面上では平然としているような状態だったに違いない

今日は終業間際で朝一対応したクレームユーザーから電話が架かって来て、センターのシステムがセキュリティの関係上、完全にシャットダウンする21時ギリギリまで延々と対応するはめになった

しかも、要望というよりはただ文句が言いたいだけというような状態だったため、まるで嫌がらせをされているような気分になった。後日折り返しをすることにも納得しなかったし、こちらから提案できる最大限の対策にも不承だった

最終的には言いたいことを言い終えて満足したのか相手から電話を切ったから、良かったと言えば良かったが…

とりあえず明日は10時半までに中野に行かなければならない
当然早く起きる必要があるので、早く寝た方がよさそうだ

2017/08/08

■36

午後2時

俺は近くの自販機で買ったホットココアを飲むことにした
ちょうど昼休憩の時間だったが、今日は食欲が湧かない

朝一取った電話がクレーム案件で、ついさっきまで揉めに揉めた挙句に解決しないどころか『またあとで電話する』で終わってしまった

一体何時間話せば気が済むのだろうか?
しかも、言っていることは支離滅裂にも関わらず、俺の言うことに関しては揚げ足を取るように突っ込みを入れてくるのだからタチが悪い

どんな仕事をしても妙な思考の持ち主を相手しなければいけないのはやむを得ないとは思うが、金を稼いでいるとは言え、関わりたくないというのが本音だ

携帯電話が鳴る
大城からだった

いつも思うことだが、大城はメールが苦手なのだろうか?
何かあると通話料がかかるのを承知の上かどうかわからないほど電話を架けてくる

「もしもし」

『おう。俺だ。日曜なんだけどさ。ていうか明日だな。始まんのが11時だから、10時半ぐらいに中野駅の改札に来てくれ』

大城の声に混じって自動車の通る音が聞こえてくる

「ああ。わかった。今日は仕事なのか?」

『そうなんだよ。休日出勤ってやつだぜ。超最悪。つってもついさっきまでゲーセンで遊んでたけどな』

「なるほどな」

『今日はどうせ直帰だろうから。帰って寝るかな』

「いいんじゃないか? たまには」

『おっとキャッチが入ってるな。どうせ会社からだろうけどよ。じゃあ、また明日な』

「ああ。お疲れ」

ちょうどホットココアがぬるくなっていた
買った直後は熱過ぎるぐらいなので、これでやっと飲めそうだ

恥ずかしい話だが、俺は昔から猫舌で熱いものがとにかく苦手なのだ
特に小さいときに舌を火傷して以来トラウマのようになってしまったかもしれない

基本的に過去にはあまり拘らない方だが、なぜかふとしたキッカケで嫌な目に遭ったことや精神的に傷ついたことは思い出したりしてしまう
それほど負のパワーというものは強いもののようだ

実際、楽しかったことや面白かったことよりもつまらなかったことや嫌だったことの方が記憶に残りやすかったりする

2017/08/07

■35

朝礼が終わった
どこかの営業会社のように体育会系のノリで今日の意気込みを言ったりするわけではない
対応方法や事務処理の変更があった場合はその内容が告知されるし、部署全体のCSこと顧客満足度の数字や1時間あたりの電話を取った件数を数値化したものが発表されたりするだけだ

亀山は奥の方にある席に座っており、PCの画面を凝視していた

スーパーバイザーの中でも部署全体の数字を見たり、オペレーターの管理をしていたりする人たちがいる場所だ

亀山もたまにいることがある
オペレーターたちがいるいわゆる現場と呼ばれる場所とはまた違った空気がある

亀山の席の横には椅子が置かれていた
俺が近付いて行くとスッと顔を上げた

「座って」

俺は言われたとおりに用意されていた椅子に座った
亀山の机には何やら書面が置かれていた

「まあ、とりあえず始末書ってヤツだ。ここに社員番号と名前書いて。やっぱね。無断欠勤は一社会人として良くないからね。バイト感覚なのかもしれないけど、一応ここは会社だからね」

俺は特に抵抗せずに社員番号と名前を記入欄に書いた
雇われである以上は上に従わざるを得ないというのは会社という組織の中では常識なようだが、個人的にはあまり好きではない
そもそもそういった常識というものは一体誰が決めたのだろうか?

「よし。まあ、別に休むなとは言わないけど、連絡はしような。で、悪い方はお終い。次は良い方だけど、これ見て」

亀山はPCの画面を指差す
そこにはエクセルで作成したと思われるものが出ていた

「これは明神君に対するコメントと評価だね。これはなかなかいいね」

確かに見せてもらった数字は5件ほどだったが、全て100点満点だったし、『問題が解決しました。ありがとうございました』というコメントが書いてあった

「今のところトップだよ。このまま行けば表彰されるかもね」

「何かもらえたりするんすか?」

「賞状と確かクオカードだったかな」

本音を言わせてもらうとクオカードより現金の方がいい
お金は形を変える道具だ
クオカードはそれなりに使える場所もあるので、悪くはないが

「まあ、そんな感じかな。今日もよろしく」

大したことなく終わったので、多少肩透かしな気分だったが、いきなり『今日はもう帰っていい』とか『明日から来なくていい』と言われることはなかっただけマシかもしれない

このご時世何を言われるかわかったものではない

2017/08/06

■34

9時35分

俺はコールセンターのセキュリティゲートに入館証をかざして通り抜ける
朝礼が45分にあり、それまでに専用PCに自分のIDを打ち込む作業があり、ギリギリになると一時的にシステムダウンすることもあってか、極力早めに出勤するようにしている

こう書くと、『なんだ。結構真面目なんじゃん』と仰る方もいそうだが、ただ単に昔から何をするにも常に余裕を持って行動をしたいだけなのだ
そして、何より遅刻ギリギリの人間が醸し出すあの殺気だった必死さが好きではないというのが1番の理由だ

この時間はオペレーターはまだ誰もいない
スーパーバイザーは奥の方で集まって朝礼をやっているようだ

俺は専用PCに自分のIDを打ち込み、今日は窓際の席に座ることにした

コールセンターはビルの25階にあるため、眺めがいい
電話が鳴らない時などの暇なときは外を眺めるのが1番だ
1日中PCの画面ばかり見ているとドライアイや視力低下の元だし、一説によると緑でなくても、遠くを見ることでも多少なりとも対策出来るようなのだ

現代人は何かと生きるのが難しい時代になっている
自分で出来る範囲で自分の身を守る術を見につけておいても損はないだろう

とは言え、日本はもう世界一安全な国ではないし、科学技術の進歩によって確実に便利な世の中になったのは事実だが、その反面人間の心はより荒んでしまったり、病んでしまったりしているのもまた事実だ

その結果以前では考えにくいような犯罪、とかく犯行に及んだ人間の脳細胞を見てみたくなるような内容のものが増えて来ている
交通事故で死ぬ確率よりも他人に殺される確率の方が高くなっているという説もあるくらいだ

俺は業務用のPCを立ち上げ、指紋認証でログインしようとしていたが、なかなか認識されなかった

スーパーバイザーの朝礼は終わっているようだった
ちょうど亀山スーパーバイザーが俺が出勤していることに気付いたようで、こちらにやってくる
昨日のことだろうか?

「明神君さ。朝礼終わったら俺のとこに来て」

「昨日のことすか?」

「そうそう。察しがいいじゃん」

「まあ、昔から上が何か言ってくるときはこっちがやらかしたときぐらいしかないすからね」

「俺らはそれが仕事でもあるからね。でも、たいしたことないよ。それに悪いことばっかじゃなくて、いい知らせもある」

「そうなんすか?」

「とりあえず朝礼終わったらよろしく」

俺は指紋認証をひたすら試していたが、やっとログイン出来た
特に指が乾燥していたわけではないので、センサー部分を掃除した方がいいかもしれない

2017/08/05

■33

どうやら今日はちゃんと起きられたようだ

朝7時にセットしておいた携帯電話のアラームに反応して、目を開けることが出来たからだ
ただ、体を起こすのは億劫で仕方がない
しかし、ここで誘惑に負けてもう1度寝てしまうと昨日の二の舞になるのは火を見るより明らかだった
ここは心を鬼にして起きなければならないようだ

今日はこないだのようなプチセレブな朝食ではなく、近所のスーパーで売っている8個入りのパンとコーヒー牛乳という質素なものだった

基本的に朝は体が言うことを聞かないことが多く、1つの1つの動作も遅くなりがちだ
そのため、たくさん食べる時間的余裕がない
 
京王八王子駅は終点ということもあり、新宿まで座って通勤出来るのが俺としては嬉しい
基本的に人混みが嫌いで、満員電車もそのご他聞に漏れずというわけだ
通勤時間は立派な睡眠補給時間なのだ

いつも8時6分発の急行に乗り、新宿までは約50分ほどかかる
日ごろの睡眠不足を多少なりとも補うには十分すぎるほどの時間だ
中途半端に3~40分ほどの通勤時間だと間違いなく座れないだろうし、何しろ満員電車と格闘しなければならない

俺は東京生まれ東京育ちなので、満員電車内でのポジション取りには自信はあるが、始発で目が覚める頃に目的地に着いているという状況が心地良いせいか、人と人にサンドイッチされる中で自分の居場所をキープするという作業に嫌気がさしてしまった

ちなみに引越しをするなら、通勤時間20分以内の場所にしようかと考えている
なぜなら、たとえ座れずに人と人にサンドイッチされたとしても体感的にそれほど長くない気がするからだ

2017/08/04

■32

携帯電話片手に電話をしている大城

「日曜は俺も行くよ。あともう一人最近俺のダウンになったヤツも連れてくからよ。お楽しみって感じかな。ああ…。またな」



小松は渋谷駅西口にある歩道橋を歩きながら、携帯電話を片手に電話をしていた
電話の主は香織だった

「おう。お疲れ。真奈美の件どうなった?」

『とりあえず今度日曜にセミナーがあるみたいだから、行って来るつもり』

「ああ。色々と勉強になるだろうから、いいんじゃない?」

『そうだね』

「で、俺に繋げてくれれば香織ちゃんのダウンが増えることになるしね」

『うん。そのときはよろしく』

「おう。じゃあ、またなんかあったら連絡してよ」

『うん。お疲れ』

香織との通話が終わるのと同時に電話が鳴る
携帯電話のサブディスプレイに『大城』と出ている

「もしもし」

『今平気か?』

「おう。大丈夫だ」

『あのさ。俺日曜に他ネット行ってくるわ』

「おお。そうか」

『なんか中野にあるデッカイところでやるみたいでさ。ダウンをごっそり作ってくるわ』

「そうだな。他ネットはセミナーよりもマケの方が効果あるから、会場にいるヤツら全員残らず俺に繋げてよ。俺が決めるからさ」

『ああ。そのつもりだぜ』

「明神さんも連れて行くの?」

『だな。色々と得るもんもあんだろうし、アイツにダウンを付けるって狙いもあるしな』

「まあ、あの人は色々見させた方がいいと思うしね。他ネットと比較することでより確信も深まるだろうし」

『まあな』

「そんな感じかな」

『そうだな』

「じゃあ、なんかあったらまた連絡してよ」

『ああ、じゃあな』

「どうやら、俺が月収一千万プレーヤーになるのも時間の問題だな…」

2017/08/03

■31

俺はちょうどメールソフトを立ち上げたところだった
以前はOUTLOOK EXPRESSを使っていたが、同僚に勧められて今はMOZILLA社のThunderbirdを使っている
迷惑メール振り分け機能も充実しているし、何よりも軽い
ちなみにブラウザソフトもIEではなく、同じくMOZILLA社のFirefoxを使っている

どうやら間違いなく大城から招待メールが来ていたようだ
メールをチェックしようとすると携帯電話が鳴る
サブディスプレイを見ると『大城』と出ている

「もしもし」

『おう。今平気か?』

「ああ」

『日曜って仕事だっけ?』

「いや、休みだけど」

『そうか』

「何かあるのか?」

『ああ、他社に乗り込むぞ』

「他社?オールモスト以外のってことか?」

『そうだ。まあ、ボーナスプランの比較も出来るだろうし、色々と勉強になることもあるだろうし、もしかしたらお前の紹介者が増やせるかもしれねえし、行って損はないはずだぜ』

唐突な話ではあったが、どうやら俺の第6感は行ってみろと言っているようだった

「そうだな…。わかった。行くよ」

『そうこなきゃな。場所は中野サンプラザだ。知ってっか?』

「聞いたことはあるな…」

『だろうな。中野駅から見えるしな』

「時間は?」

『おっと。まだ確認してねえや。あとで連絡するわ』

「ああ」

『じゃあ、またな』

とりあえず俺は中野サンプラザの場所は調べてみることにした

2017/08/02

■30

大城は顔をしかめながらセブンスターの煙を吸い込んでいた
ベンチの上に投げ出された携帯電話が鳴る
サブディスプレイには『小泉真奈美』と出ている

「んだよ」

『昨日はごめんねぇ。ドタキャンするつもりなかったんだけどぉ』

相変わらず真奈美の声は甘ったるかった
一体どんな声帯をしているのだろうか?

大城としては会社から業務連絡の電話が来るのも煩わしいが、それと同じぐらい真奈美の声を聞くのも煩わしかった

「はいはい。で?何の用だ?」

『昨日話そうと思ってたことなんだけどぉ。とりあえずアイツサイテーだよ』

「あいつって?」

『君を直紹介した人。まあ、私も紹介されたけどね』

「ああ。誰だかわかった。なんだよ、いきなり。手のひら返すみたいに」

『だってさぁ。アイツ、超柔軟性ないじゃん?ネットワークってさぁ、ライフスタイルビジネスって言われたりするじゃん?でも、あのやり方ってさぁ全然違うじゃん?』

「…おまえ何が言いたいんだ?」

『あたし、オールモスト以外にも登録してるんだぁ。君も来る~?いいよ。アイツみたいな融通の利かないヤツもいないしさぁ。みんな1人1人の価値観とか、考え方が違うってことをわかってくれる人たちばっかだよ。ちなみに香織が今度やるセミナーに来るってさ』

「ふ~ん…。いつだ?」

『日曜だよ。場所は中野サンプラザ。すっごく大きい会場で、たぶん当日はいっぱい人来ると思うよ』

「あっそ」

『どうする~?』

「あとで連絡するわ」

『わかった。じゃあねぇ~』

とりあえずもう真奈美の声を聞きたくなかった
そして、すぐさま香織に電話をすることにした

『もしもし』

「おう。今平気か?」

『うん。ちょうど休憩だから。どうしたの?』

「いやさ。今真奈美から聞いたんだけどよ。日曜に他社のセミナー行くんだって?」

『そうだよ』

「真奈美の会社に興味あんの?」

『う~ん…。会社というより真奈美に戻って来て欲しいなって感じかな。後はあの子が何に惹かれてるか見てみたいってのもあるし』

「なるほど」

『大城君も行くの?』

「まだ、返事してないけどそのつもりだ。俺はダウン増やしたいしな」

『そうだよね。明神さんはどうするの?』

「一応あいつにも声かけるぜ。オールモストのプランと比較出来るし、色々勉強にもなると思うしな」

『そっかぁ…。なんか面白くなりそうだね』

「だな。じゃあ、また」

『うん。じゃあね』

気が付いたらセブンスターが残り僅かになっていた

「おっと! 危ねぇ」

胸ポケットから携帯灰皿を取り出し、火を消した

「さて、と…。リーマンなんてやってる暇ねぇな」

2017/08/01

■29

壁掛け時計はちょうど3時をさしていた
さすがの俺もこの時間ならば目はすっかり覚めていた
そして、寝すぎた後遺症として頭が痛かった
頭痛になるときいつも痛くなる後頭部が痛かった

しかし、さすがにこのまま寝ているのも辛いので起きることにした

カーテンを開けると、空は雲一つない快晴だった
これで寒くなければ最高なのだが…

俺の部屋は間取りはいわゆる1Lだが、縦長な作りになっているため体感的にはもう少し広く感じる
窓は1ヶ所で、その近くに机を置いている
机はPCデスクだ
PCのモニター以外にはマウスパッドとワイヤレスマウス、そして携帯電話が置いてある

おそらく会社からの着信がたくさん来ているだろう
念の為チェックしてみると、見事予想は外れた
着信履歴には1件だけ
東京03から始まる番号からの着信があるだけだった

基本的にアドレス帳に登録していない番号から着信があるときは折り返しはしないことにしているので、今回もその法則に従うことにした

とりあえず大城からSNSの招待メールが届いていると思われるので、それをチェックしてみることにした