2017/07/31

■28

大城は吉祥寺にある井の頭公園のベンチに座り、セブンスターをくわえながら目の前に広がる池を眺めていた

鴨や白鳥が優雅に泳いでいるのが見える
だが、それはあくまでも水上に出ている胴体だけを見ればというだけのこと
実際は水面下では足で必死に漕いでいるはずだ

携帯電話が鳴る
サブディスプレイに『会社』と出ている

「うるせえ…。所詮労働だろ?てか数字なんて見りゃわかんだろ?なんでいちいちてめえに報告しなきゃなんねえんだよ…」

2017/07/30

■27

どうやら俺は気付いたら寝ていたようだった
とは言っても学生時代のときのように参考書を開いたまま机に突っ伏していたわけではない

しっかりと部屋に敷きっ放しにしている布団に入って寝ていた
間違っても机で寝ると後が大変なことになる
まず体中が痛くなるし、なにより怖いのが季節的に風邪を引く確率が限りなく100パーセントに近くなることだ

外は既に太陽に照らされて明るくなっていた
寝るときは常にカーテンを閉めているが、部屋も自然と明るくなってくる

季節的に空気が澄んでいる時期で眺めもいい
どうやら今日は雪化粧をした富士山が見える縁起のいい日のようだ
それだけで気分が晴れやかになるから不思議なものだ

布団の中から壁掛け時計を見る
長針は12のところにあるが、短針がなぜかいつも起きなければならない7のところではなく、11のところにあった

…どうやら寝坊してしまったようだ
きっと携帯電話の着信履歴に会社からの電話が何件か来ているだろうが、見る気にもならないし、折り返す気も起きなかった

こういうときは思い切って休んでしまった方がいい
体が休めと言っているに違いないからだ
現に目を開けるという作業が億劫で仕方がなかった

俺はもう少し寝ることにした
あと何時間寝ることになるかは全く予測出来ないが、とにかく寝たかった
後のことは目が完全に覚めてから考えればいいのだ

第一日本人は基本的に働きすぎなのだ
一説によるとアメリカとほぼ同じぐらいの労働時間にも関わらず収入はアメリカよりも少ないのだ

とにかく今の俺に必要なのは休息だ

2017/07/29

■26

デニーズは24時間営業ということもあるが、窓際にもチラホラと人がいるのが見える
心なしか店内の照明は暗めだ
その中に大城がいるのが見える。どうやらタバコを吸っているようだった

思わず大城をジッと見る香織だが、大城は香織の存在に全く気付かない様子

大城は顔をしかめながらセブンスターを吸っている
テーブルには大盛りのパスタが入っていたと思われる皿やスープの大と思われる大きさの底が深めの皿もあった
テーブルに投げ出されたままの携帯電話が鳴る
サブディスプレイに『石井香織』と出ている
乱暴に携帯電話を開く大城

「もしもし」

『お疲れ』

「珍しいな。どうかしたん?」

『今下にいるんだ』

「え?」

外を見る大城。確かに香織が見える

「ああ。いたいた。俺のとこからちょうど見えるわ」

『うん。私からも見えるよ。今1人?』

「ああ。そうだけど」

『そっち行っていい? なんか喉乾いちゃってさ』

「おお。いいぜ。俺も1人で退屈してたとこだし」

『うん。わかった。じゃあ』

香織がやってくる
吸っていたセブンスターを灰皿の上で消す大城

テーブルは綺麗に片付けられており、ワイングラスの形に似たグラスにはコーラが入っていた

「お疲れ。何してたの?」

「メシ食ってたよ。ホントはアポ入ってたんだけど、ドタキャンされちまってさ。なんか帰る気にもなれなくてさ」

「そうなんだ。ひどいね。やけ食い?」

「まあ、それほどじゃねえけど、パスタとスープを大盛りで2杯食っちまった」

「随分食べたね」

「俺、基本大食いなんだよ」

「そっかぁ」

香織はセミナー開始持のときと変らない自然な笑みを浮かべていた

「あれだよな。香織ちゃんてさ。いつもナチュラルな感じだよね。今もそうだけど、セミナー前に見たときと同じ雰囲気な気がする」

「そうかな? まあ、確かに人と会うときは表情とかは気をつけてるけどね」

「なるほどね。俺はそのときの気分がすぐ顔に出ちまうんだ。営業やるようになって大分マシにはなったけどさ。さっきみたいにムカつくことがあるとさ。すぐ出ちまう。香織ちゃんはそういうことがあっても切り替えが上手そうだよな」

「ん~。以外とそうでもないよ。ついさっきまではちょっといやなことがあって結構へこんでたし」

「へえ…」

コーラを一気に飲み干す大城

「私もなんか頼もうかな」

「そういや喉乾いてたんじゃねえの?」

「うん。今思い出した。私もコーラにしよっかな」

セブンスターをくわえ、火をつける大城

「明神さんて普段は何やってる人?」

「確かコールセンターでオペレーターやってるっつってたな。結構長いみたいだ」

「そうなんだ。どこで知り合ったの?」

「あいつとはもう10年ぐらいの付き合いなんだ。不思議と気があってね」

「へえ…」

「俺もあいつもそんなに社交的な方じゃないし、親友と呼べるヤツもそんなにいない。まあ、唯一の例外って感じかな」

香織の前にコーラが置かれる

「すいません。コーラお代わりください」

「よく飲むね。何杯目?」

「さあ、数えてないからわかんねえ」

「タバコ吸ってるからじゃない?」

「かもな。香織ちゃんは吸わないんだっけ?」

「うん。1度も吸ったことないよ」

「へえ…。吸ってるようなイメージだったけどな」

「まあ、確かにメンバーは吸ってる子が多いけどね」

「だよな。特にヘビーなのがあいつ、真奈美。なんかフツーに2箱は軽く行くらしいぜ」

「そうなんだ…」

真奈美の名前を聞いた途端に香織の顔が曇る
香織の異変に気付く大城

「どうかしたか?」

「ん? そういえば真奈美最近来ないなぁって思って」

「確かにな…」

「私、真奈美の直紹介なんだけど、この話聞いたときの真奈美はホントすごかったんだよね…。あの子そんなにしゃべるの上手くないけど、なぜか伝わってしまうっていう何かを持ってた」

「まあ、そんな感じだよな」

「今思うと、私にとってのモチベーションだったんだよね」

「へえ…」

灰皿に置かれたセブンスターがあとわずかでフィルターのみになりそうな状態だった

「それなのに…」

香織の目に涙が浮かんでいるように見えた

「まあ、何があったかはなんとなく想像はつくけどよ…。その…あれだ。アイツはアイツだし、香織ちゃんは香織ちゃんだからさ。なんていやぁいいのかな…」

大城は苦笑しながら必死に場を明るくしようとした

「…そうだよね。なんとなく大城君が言おうとしてることわかるよ。うん、その通りだと思う。ありがとう」

再び笑顔を取り戻す香織

「え、あ、そう。そりゃ良かった」

「そういえばコーラ来てたんだね。忘れてた」

「てか氷が完全に溶けちまってるぜ。どんだけ薄くなってんだ?」

コーラを一気に飲み干す大城

「こりゃ完璧水だわ」

ストローでコーラを飲む香織

「ホントだね。私のも水だ」

「だろ?」

「だね」

「でも、あれだよな。香織ちゃんて強いよな」

「え、そうかな?」

「だってよ。こういう状況って精神的にもキツイじゃん?人によってはずっと引きずることもあんじゃん」

「そう言われればそうかもね。私はなったらなったでしょうがないかなって思うタイプなのかもね」

「なるほどね」

「そういえばさ。大城君のフロントの人、明神さんだっけ?」

「ああ。ヤツがどうかしたか?」

「大城君と感じが違うなって思ったの。友達だよね?」

「ああ。確かに不思議なくらい長い付き合いなんだよな。アイツぐらいだぜ。こんだけ長いのは。まあ、似てるとこもあるし、そうじゃないとこもある。だから、飽きないのかもな」

「へえ…」

「ヤツに興味あんの?」

「そういうわけじゃないけど…。どんな人なのかなってちょっと思っただけ」

「ふ~ん…。まあ、話す機会があれば話してみるのもいんじゃね?」

「そうだね」

「ちなみに俺もヤツもフリーだけど」

大城はニヤニヤしながら、セブンスターに火を点けようとしていた。

「タバコ吸う人はイヤだなぁ」

「あっそ。俺も年下に興味ねえし」

笑い出す大城と香織

2017/07/28

■25

京王八王子駅とJR八王子駅の間にあるデニーズのあたりを歩いている香織

携帯電話が鳴る
サブディスプレイを見ると、『真奈美』と表示が出ている

立ち止まり携帯電話を見つめるが、電話に出る素振りは全くなかった

携帯電話が鳴り止む

深くため息をつき携帯電話をしまう香織

2017/07/27

■24

電車はちょうど北野駅から発車しようとしていた
車内は1つの席に1人しか座っていないぐらい人が少なかった

小松と香織が並んで座っていた

「そうなんだ…。じゃあ、もう真奈美は来ないんだね」

香織の顔に笑顔はなかった

「ああ。俺は今まで色んなヤツを見てきたからわかるんだ。真奈美はもういないものとして考えた方がいいね。確かにショックかもしれないけど、誰よりも残念なのは俺だよ。2人とも俺の直紹介だからね」

「そうだよね…」

「救いなのは香織ちゃんが頑張って作ってきたグループが元気だってことだね。今かなりいい感じだしね」

「そうだね…。みんな私を頼りにしてるもんね。これぐらいのことでへこんでる場合じゃないよね」

「そうだね。くれぐれにもさっき話したことはみんなには言わないようにね。グループは生き物だし、こういうことはみんなの士気に影響することだから」

「…うん」

笑顔を見せる香織
終点の京王八王子に着いたことを知らせる車内アナウンスが鳴り響く

「ねえ…。今日は?」

上目遣いで小松を見て、手に触れる香織

「悪いな。今日はかみさんと約束してんだ。ここんとこフォローとかマケとかで忙しかったからね」

小松は香織を見ることはなかった

「…そう」

香織から笑顔が消えた

2017/07/26

■23

京王八王子駅とJR八王子駅を結ぶ通りは昼間は人通り、交通量とも多く賑やかな場所だが、さすがに夜11時という時間帯になると閑散とした雰囲気になる
新宿や銀座の歩行者天国のように車道のど真ん中を歩いても問題ないような状態だった
デニーズの1番奥にある窓側の席にもたれかかるように座る大城
入り口からはちょうど左側に位置する場所だ

このデニーズは1階ではなく2階にある
1階はセブンイレブンとタリーズがある
大城の座っている場所はちょうど眺めのいい場所で、外の様子が俯瞰的に見える

大城はセブンスターを取り出し、火を点けようとしていた
携帯電話が鳴る
サブディスプレイには『小泉真奈美』と出ている

「着いたか?」

『ごっめ~ん。やっぱ今日無理』

「はぁ?」

『ダーリンに~。10回ぐらいイカされちゃったからぁ~♪もう動けない』

「…」

『じゃあねぇ~』

電話が切れた音が聞こえる

「…」

携帯電話をテーブルに投げ出し、舌打ちしながらセブンスターに火を点けようとするが、ガスが切れているようでなかなか火が点かない

「あぁ。くそ…」

ソファー状になっている椅子に寝転がる

2017/07/25

■22

京王八王子駅のタクシー乗り場で携帯電話をいじっている大城

時間は夜11時
右側に見えるミスタードーナツは既に閉店していた

「おお。わりいな。こんな時間に。いやさ、どうしても聞きたいことがあってよ。ああ…そうだよ。例の件さ…。まあな。とりあえずデニーズにいるよ。腹減ったからさ。じゃあ、またな」

2017/07/24

■21

ベローチェは新宿文化センターに向かう途中にあった
奥が禁煙席になっており、入り口近くは喫煙席だった

今はどこでも分煙になっている
俺はタバコは吸わないが、なぜか周りにいる連中はほぼ9割方スモーカーだ

そのため常に喫煙しているのと同じような状態になってしまっている
しかも、一説によると主流煙よりも副流煙の方が毒性が強いと言われている
俺の肺はきっと喫煙者のそれと比べても遜色ないほど汚れていることだろう

俺と小松、大城は入り口近くのテーブルに座った
椅子が高い作りになっており、足を伸ばせたのは好都合だった

パイプイスに1時間半座って色々な情報を頭に詰め込むのはかなりしんどかったからだ
足を伸ばすことで多少なりとも頭がスッキリしてきたような気がした

「最大のコツはセミナーで話した通りなんですけど、細かいことを言うと、伝えるときには自分で全部話さないでください。なぜかというと相手に伝わらないからです」

「…どういうことですか?」

意味がわからなかった

伝える仕事ということは口に出して話さなければならないはずだ
それとも、ボディーランゲージという手段を使うのだろうか?

小松は俺の心を読んだかのように

「話さないと言ってもボディーランゲージを使うわけではないです。大城君からこの話を聞いたときのことを思い出してください。おそらく全ては話していないはずですよ」

確かに大城は小松が言ったように、このビジネスを全ては話していなかった

「イメージで言うと映画の予告編のような感じですね。予告編てこの映画を見たいと思わせるものですよね。よく見てると印象に残るシーンや強烈なシーンばかりで作られてるはずです」

なるほど
小松の言いたかったことがわかった気がした

「ああ、そういうことですか。わかりやすい例えですね」

「初めての人にはいつもこの話をするようにしてます。なるべく身近なものに例えた方がわかってもらえるんですよ」

「なるほど…。自分で話さないってことでしたけど、ということは誰かに代わりに話してもらうってことですか?」

「そうです。それは自分でもいいですし、大城君でもいいです。第3者を通すことによってその分伝わりやすくなります。相手と自分の距離が近ければ近いほど伝わりにくくないですか?」

確かにそうかもしれない
俺も大城の言うことは付き合いが長いせいかあまり真に受けなくなっている

「そうですね」

「あとは話してもらう人をティーアップって言うんですけど、持ち上げるというか相手にとって会ってみたくなるようにイメージさせるというのも重要ですね。実は このティーアップが上手く出来るか出来ないかで結果も変わってきます。大城君はなかなか上手いですよ。もう既に何件か俺にアポ入ってるよね?」

「そうすね。確か明日から心臓破りの5連チャンすね。まあ、小松さんだから大丈夫すよね?」

「ああ。余裕だよ。何たって1日10連チャンマケしたことあるし」

「マケ?」

「第3者に話してもらうことですね。ネットワーク用語でABCって呼ばれることが多いですね。自分はマーケティングケア略してマケって呼んでます。両方とも同じ意味ですけどね」

「はい」

「あとは毎月2~3回のペースでやっているOSに動員するのもいいですね」

「ああ…。セミナーに連れて行くってことですよね?」

「そうですね。動員て普段はそんなに使わないですかね?」

「あんまり使わないですね」

「小松さんガンガン使ってますよね」

「そういやそうだな」

このビジネスがどういうものか大分イメージ出来てきた
これは人脈を増やさないとならないようだ
早速大城がEメールで送ってくれたSNSで探してみた方がよさそうだ

奥の方をチラリと見る小松
大城がそれを察したかのように

「香織ちゃんいますね」

「ああ。ちょっと行ってくるわ」

席を立つ小松

「じゃあ、大城君後頼んだわ。明神さんとりあえずやってみてください。それでわからないことがあったら何でも聞いてください」

小松が向かった場所にはさっき会場にいたと思われる女性陣が約10人ほどいるようだった

「さてと…。まあ、こんな感じだ。帰るか?ていうか俺はこれから八王子でアポ入ってるから行かなきゃなんないけど」

「ああ…。そうだな」

正直思ったより難しくなさそうだ

俺にも出来るかもしれない

いや出来るはずだ

何しろ大城に出来て俺に出来ないわけがない

2017/07/23

■20

セミナー終了後はまだ余韻が残っていたようですぐには立てなかった

「どうした? なんか疲れた顔してんぜ」

「なんか…。色んな情報が頭に一気に入って来たからなぁ…。今こうやって話すのが精一杯だ」

「まあ、そうだろうな。俺もそうだったしな」

会場にはまだメンバーがたくさん残っているようだった
女性陣はどうやら香織の周りに集まっており、賑やかというよりはうるさいぐらいだった

俺は完全に頭が回っておらず、何を話しているかは全く耳に入って来なかったが、どうやらみんな20代前半から25歳で、割と華やかな雰囲気だった
ファッションの系統も同じだったが、不思議とその中で一番目立っていたのは香織だった

「あの子さっき受付してた石井香織って子だ。今女の子の中で1番力があるんじゃねえか」

「ああ…。そうだろうな」

小松が例のボストンバックを持ってスッと出て行くのが見えた

「さてと。俺たちも出ようぜ」

会場の外にはソファー状の椅子があり、小松が座っていた

「明神さんお疲れ様です」

「お疲れ様です」

「内容はどうでした? わかりましたか?」

「ん~…。正直色々な情報が頭に一気に入ってきたので、よく吟味出来てないんですけど、ただ伝わるものはありましたね。うまくは言えないですけど」

「なるほど…。明神さんこれからちょっといいですか?セミナーで話しきれなかったことを話したいなって思ってるんですけど」

正直これ以上何かを話されても頭に入るような状態ではなかったので、すぐにでも帰りたかったが、小松と大城から無言の圧力を感じて、それに抵抗する気力もなかったため付き合うことにした

「いいですよ」

「じゃあ、場所変えましょう。来る途中にベローチェがありましたよね?あそこに行きましょう」

言うやいなやすぐに早足で歩き出す小松
一体この男はどれだけ忙しいのだろうか?

2017/07/22

■19

教壇のところに小松と似たような格好をした人物がやってくる
雰囲気は小松とは正反対で、どちらかといえば堅い業界で仕事をしているようなタイプだった
彼も小松ほどではなかったが、オーラが感じられた

「会の開催に先立ちまして、お手持ちの携帯電話など音の鳴る通信機器を電源を切るまたはマナーモードにして頂くようご協力お願致します」

どうやらこの人物は司会のようだ

大城は何もせず
おそらくマナーモードになっているのだろう
俺は外では常にマナーモードに設定しているので問題ない

「よろしいでしょうか?それでは、始めさせて頂きたいと思います。本日はビジネストレーニングということですが、今回の内容はこのビジネスを進める上で重要且つ基本的なものになっています。知らずにビジネスをすることはチェーンの外れた自転車を漕いでいるのと同じことだと、結果を出している方は口を揃えて言われる内容でもあります。その内容をお話頂く方はみなさまご存知の小松佳孝さんです。元々はフリーターで正社員経験は一切ないとのことです。まさしく生きたサクセスストーリーと言っても過言ではないでしょう。では長くなりましたが、小松さんお願い致します」

会場は拍手が鳴り響く

大城はノートを見返しており、拍手はしているかいないかほど軽くしているだけだった
俺もそうだが、こういった拍手喝采の場はあまり好きではない
むしろ周囲の熱気に比例して逆に冷静になってしまう

颯爽と教壇のところにやってくる小松

手には手板とA4サイズのファイルがあった
おそらく原稿だろう
ファイルを見開き状態にし、手板をその左に置き、マイクの調子を確かめている

会場には大きなスピーカーが左右の壁に備え付けられており、そこから小松がマイクの頭を叩く音が聞こえる
問題ないようだ

「こんばんは」

会場全体が小松の声に呼応する形で

「こんばんは!」

まるで口裏を合わせたかのようだった

「生きたサクセスストーリーの小松です」

ニヤリと笑い、後ろの方に視線を向ける小松
おそらく、さっきの司会者でも見ていたのだろう
その笑みは苦笑という感じではなく

『なかなか面白いこと言うじゃねえか』

という笑みだった

「今日はビジネストレーニングということですが、とりあえずオールモストはスゴイ。何がスゴイかというと」

ホワイトボードに板書を始める小松
その様子も以外と様になっていた
ホワイトボードには『権利収入』と書かれていた

「これですよね。権利収入。みなさんはこれが欲しくて、この権利収入を取るためのノウハウを得るためにわざわざこの夜8時という時間、高い交通費をかけたり、周りの白い目を掻い潜って仕事を抜け出してきたり、中には仕事自体さぼった人もいらっしゃると思います」

大城はひたすらノートに書き込んでいた
どうやら小松の言ったことを一字一句漏らさず書いているようだった
俺は聞いているだけで精一杯だったので、板書されたもののみを書くことにした

「でも、まだこれ以外にあります。何だと思いますか?」

小松は教壇に手を着いて会場を見渡した
一通り見渡したあと、ニヤリと笑い板書を始める

「自分自身がスゴくなれることです」

ホワイトボードにもそのように書かれていた

「実は今書いたこの自分自身がスゴくなれるというのが、このビジネスの醍醐味でもあります。もちろん権利収入も醍醐味の一つですけどね。でも、この権利収入というのは何もしなかったら、当然のことながら手に入りません。では、何をするのか?それをこれからお話しします」

ホワイトボードを消し始める小松
そして、見開きになっているファイルをチラリと見る

「まずは今までの自分を変えることから始めてください。なぜかというと今の自分自身が置かれている状況は全て今までの自分だったからそうなったわけです。昔僕も同じことを言われたんですが、確かにその通りなんですね」

今までの自分を変えるとはどういうことだろうか

「実際僕はこのビジネスを始めたときは本当にギャル男でしたし、人生なんてこんなもんなのかなって思ってましたし、当時フリーターだったんですけど、正社員の人が僕に奢ってくれって言って来てましたからね。本当に夢も希望もなかったですね。しかも、そんなときに子供も出来ちゃいましたし、あのときは本当にどうなるかと思いましたね。そんなときにこのビジネスの話を聞きました。もちろん全く不安がなかったというわけではなく、1パーセントの期待に99パーセントの不安というような状態でしたね。でも、お金や人脈、コネとか何も持っていない自分がビックになるにはこれしかないのかなって直感的に思いましたね」

小松は変わらざるを得ない状況だったようだ
確かに俺自身が同じような状況に置かれたら、おそらく今のままでは駄目なのはなんとなくわかる
どうやら小松はいい方に変ることが出来たようだ

大城はひたすらノートに書き込んでいた
腱鞘炎になってしまうのでは?と人事ながら心配になってしまった

俺はノートを取るよりも聞くことに集中していた
というよりは小松の話に引き込まれてしまったという方が正しいかもしれない

小松の語り口はどちらかといえば一定のリズムで淡々としていたが、言葉に力があるせいか退屈することはなかった

「さて…。時間も時間なのでそろそろ終わりますが…」

チラリと腕時計を見る小松
俺も左側の天井近くにある壁掛け時計を見る
9時半だった

セミナーは8時ごろから始まっていたので、1時間半近く小松は話していたことになる

こんなに長く人の話を聞いて寝なかったのは初めてだった
小松は疲れた素振りは一切見せなかった
おそらく何10回何100回とこういったことをやっているのだろう

「最大のコツは…」

ホワイトボードに向かって板書し始める小松

「楽しむことです…。それだけかよって突っ込みが入りそうですが、そうなんです。とりあえず難しいことは抜きにして、まずこのビジネスを楽しんでください。そうすると人が集まって来ます。人が集まって来ると稼げるようになります。そうするとまた楽しくなります。この繰り返しです。僕も同じようにやってきました。そして、誰よりも楽しんでやってきたので、こうやって前に立つようになったんだと思います。というわけで、僕からのビジネストレーニングを終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました」

会場に拍手が鳴り響く
気のせいか開始前の拍手よりも音が大きいのではないかと思った

実際俺や大城も開始前より若干強めに拍手していたぐらいだ

2017/07/21

■18

今回のセミナー会場はエレベーターを降りてすぐ左の部屋で、中を見た限りでは少なく見積もっても40人は入れるような広さだった

照明は明るめで、内装は壁や天井、床は全て黄土色だった
机はいかにも大学の教室にありそうな長机とパイプイスだった
まだ誰も来ていないようで、入ってすぐ目の前にある長机にコーチのレディースバックが置かれていた

「なんでぇ。まだ誰も来てねえのか」

「でも、ここにコーチがあるってことはもう誰かしらいるんじゃないか?」

「ああ。このバックは香織ちゃんかな」

「香織ちゃん?」

「メンバーの子だ」

「あ、大城君お疲れ様」

シャネルの財布を片手に持った石井香織が入ってくる

「おう。お疲れ」

「こんばんは」

香織は俺を見ても特に警戒する素振りもなく、かと言って愛想笑いを浮かべるわけでもなく、自然な笑みを浮かべていた

割と目鼻立ちのハッキリした顔立ちでシャープな印象だったが、きつめな感じではなく、どちらかと言えば柔和で親しみやすい感じだった

身長はおそらく165センチぐらいだろう
髪型はセミロング丈の栗色の茶髪でストレートだった
服装は黒と白のチェック柄のコートにデニムのミニスカート、黒のタイツに茶色のロングブーツというものだった

「初めまして」

「もしかして。明神さんですか?」

「そうですが?」

「やっぱり。大城君が新しい人を連れてくるっていう話があったんですよ。そっかぁ」

屈託なく楽しそうに話す香織
その笑顔には人を引き付けるものがあった

「ていうかさ。みんな来るの遅くね?」

「そうだね。そろそろ来ると思うけどね。あ、そうだ。受付受付」

「1000円だっけか?」

「うん。名前も書いといて」

「ほいよ」

「職業のとこ何て書いたの? 英語で書かれたら読めないじゃん」

「別にいいじゃんよ。どうせ今日はメンバー対象だろ?」

「そうだけどさぁ」

「さてとどこ座ろうかね」

最前列の長机にポーターのビジネスバックを置く大城

「名前と職業と紹介者の名前を書いてもらってるんですよ」

大城のものを参考にしながら俺も書き始める

どうやらさっき香織が読めないと言っていた英語はLapis lazuliだった
紹介者の欄には小松と書かれていた
小松さんから直接紹介されたということだろうか

ちなみに俺は紹介者欄は大城で職業欄は形式上ではあるが、社員に扱いになっているため会社員と書いておいた

大城は椅子の背にもたれかかりながら相変わらず携帯電話を何やら操作していた

「ベストポジションゲットしといたぜ」

「最前列か。なんか落ち着かないな」

「まあまあ、慣れるって」

ゾロゾロとメンバーと思われる連中が入って来ていた
不思議と20代ばかりのような印象だった

男女比は4:6ぐらいだろうか?
心なしか女性の方が多い気がした

その列を避けて小松が入って来た
心なしか疲れているような雰囲気だった
いくら小松といえど人間だから調子のいいときもあれば悪いときもあるだろう

小松はそのまま後ろの方に早足で歩いて行った

列が途切れたのを見計らって香織が入り口のドアを閉める
よく見るとホワイトボードはもちろんのこと黒板もセッティングされており、準備は万端といった感じのようだ
そして、ホワイトボードの前に教壇のようなものも置かれている

「そろそろ始まるぜ」

大城は携帯電話をしまい、A4サイズのノートを取り出す

「筆記用具持ってきたろ?」

「ああ。もちろん」

俺も無印良品で買ったトートバックからノートを取り出す

「B5かよ。無印とはらしくねえな」

「まあ、コンパクト好きなんでな」

基本的に大きいものはあまり好きではない
普段も仕事柄手ぶらで出勤することが多い

何しろ自分自身がコールセンターにいるのが第一なのだし、仕事中は全くと言っていいほど紙媒体を使わない
普段も携帯電話のスケジュール機能で十分に管理出来てしまう

2017/07/20

■17

新宿文化センターはレンガ作りの概観に黒塗りのガラスがはめ込まれているという佇まいで、オーケストラや演劇の練習にも使える場所のようだ

「随分格式高そうな場所だな」

「ああ、会場費が高いみてえだな」

「だろうな」

会場に足を踏み入れると、ヴァイオリンの音や発声練習の声がどこからともなく聞こえてきた
情操教育が似合う場所だ

「4階に研修室みたいなとこがあんだわ」

奥のほうにエレベーターがある
すぐ近くの壁に会場使用者のリストが貼ってあり、4階の欄にTOPAZと書かれていた

4階に着くと既に会場の準備が完了しているようで、中にも入れるようだった
このフロアの床は暗めのトーンの赤で、絨毯を思わせる作りになっており、実際歩いてみるとやわらかく歩きやすかった
これだと足にも負担がかかりにくい

研修室と思われる場所がエレベーターを降りてすぐ左に1ヶ所
右に1ヶ所
そして、左奥にもう1ヶ所あった

2017/07/19

■16

待ち合わせ場所のアルタ裏には既に大城がいた
俺は客対応が長引いてしまったため、15分ほど遅れてしまった

営業時間終了1分前に電話があり、しかも完全に他部署の案件で、転送出来ないことに散々ごねられたのだからたまったものではない

大城は近くの自販機で買ったと思われるホットココアを飲んでいた

「おう。お疲れ。大変だったみたいだな」

「まあな。電話するんだったらもっと時間があるときに架けて来いよって感じだったぜ」

「なるほどな。基本客主体だもんな。よくやってられるな。結構長いんじゃね?」

「ああ。気付いたらまる3年だ」

「そりゃ長いわ。俺は営業やり始めてやっと1年経つかどうかだぜ」

「そんなもんだっけか?」

「ああ。俺は飽きっぽい性格だしな」

携帯電話を見る大城

「おっと。そろそろ行こうぜ。新宿文化センターはこっから10分ぐらいかかるんだわ」

「ああ」

「とりあえず靖国通りに出っから」

俺と大城は靖国通りの歌舞伎町沿いを歩いていた
新宿という街はどこに行っても人が多い気がするのは俺だけだろうか?

大城は落ち着きなく携帯電話を出しては見て、しまいを繰り返していた
時間をチェックしているのだろう
よく見ると大城は腕時計をしていなかった

「そういえば、前から時計してなかったっけ?」

「ああ。なんか好きになれねえんだわ。縛られてる気するし」

「でも、いちいちケータイ取り出すの面倒臭くないか?」

「いや、むしろちゃんとあるか確認出来るからいいぜ」

「なるほど」

目の前に丸井インテリア館と書かれたビルが見えてきた
確か昨日会場の場所を調べてみると、このビルの前にある通りを左折して直進すると、右側に日清食品と書かれたビルが見えてくるはずだ

「え~と。左に神社があるな。このまま左だ」

確かに大城の言うとおり神社があった
新宿のゴミゴミした街と不釣合いなイメージがあったが、この神社は不思議と何年も前からこの場所にあったかのような佇まいが感じられた

「右側に日清が見えたらもうすぐだ」

「だよな。確か近くに学校もあったよな」

「そうそう。来たことあったのか?」

「いや、一応場所調べてはいたんだ」

「なるほどな。あの辺は割りと閑静な住宅地的な感じなんだぜ」

右側に日清食品のビルが見えてきた
確かに新宿では珍しい落ち着いた雰囲気がその一角にはあった
この辺に住むのも悪くないかもしれない

2017/07/18

■15

俺は早速モデムの電源がささっているOAタップのスイッチを入れた
基本的にインターネットを使わないときは電源は入れない主義だ
電気代もバカにならないだろうし、何よりもモデムの寿命が早く来てしまう気がしてならない

俺の部屋は京王八王子駅から徒歩5分以内にあるマンションだ
電車の音がうるさいのは難点だが、駅から近いのが魅力的だったし、何よりも最上階というのが気に入った
それに光ファイバー対応物件でもあったし

どうやら、インターネット信号が正常に送られてくる状態になったようだ
俺はメールソフトを立ち上げ、大城の携帯用のアドレスを打ち込み、メールを送信した
大城のことだからドメイン設定や指定アドレスからの受信拒否などはしていないだろう

ちょうど11時だった
大城はまだ新宿にいるのだろうか?

『りょうか~い。とりあえず明日になっちまうけど、すげえ便利なツールだからぜひ使いこなしてくれ。まあ、お前なら何の問題もないだろうけど。なんてったってイット系だもんな(笑)』

相変わらず大城はメールの返信が早かった

2017/07/17

■14

大城はコーラを飲みながら電話を架けている
テーブルにはパスタが入っていたと思われる空の皿が2つ置かれている

『もしもし』

「おお、俺だ。大城だ」

『最近やたら電話が多いな。どうした?』

「お前さ。声かける知り合いっている?」

『そうだなぁ。仕事場の人間は正直声かける気にならん連中ばっかだし、学校行ってたときはロクに友達作りして来なかったからなぁ。そう言われるといないかもな』

「なるほどな。じゃあ、そんなお前にすげえツールを教えてやるよ」

『珍しいな。どういう風の吹き回しだ?』

「お前が稼げるようにって、ただそれだけだ」

『へえ…。そりゃありがたい話だな』

「ぜってえ信じてねえだろ?」

『いや、そんなことはないさ』

「まあ、いいや。お前パソコン持ってたよな?」

『ああ』

「Eメールアドレス持ってる?」

『あるぜ』

「それを教えてくれれば、俺が使ってる必殺のツールに招待出来るぜ」

『ああ、SNSってヤツか?』

「そうそう」

『確かに人脈広がりそうだな』

「だろ?俺の言った意味が理解出来たろ?」

『まあな』

「じゃあ、あとで招待メール送っとくからよ。楽しみにしててくれ」

『出会い系とかじゃないだろうな?』

「んなわけねえだろ。出会い系のサクラやる時間は俺にはねえよ」

『わかった。よろしく』

「おう。あ、あと明日はアルタの裏に花屋があるから、そこで待ち合わせしようぜ」

『ああ』

「じゃあ、またな」

残ったコーラを飲み干し、セブンスターに火を付けて煙を吐き出す大城

2017/07/16

■13

小松は新宿南口の小田急線改札口近くの柱にもたれかかって、苛立った表情で電話をしていた

「おい真奈美!なんなんだよさっきの写メールはよ。俺はおめえがヤッてるとこなんか見たくねえんだよ」

『え~。見たいくせにぃ~』

電話越しから聞こえてくる小泉真奈美の甘ったるい声

「マコトもいんのか?」

『今はあたしのそばにはいないよぉ~』

「そばには、だと?」

『うん。なんかぁ~。汗いっぱいかいちゃったからお風呂入りたいって言ってたよぉ~』

「…」

もたれかかっている柱を拳で叩く小松
その様子をチラリチラリと見ながら通行人が通り過ぎていく

『もしかして怒ってる~? 別にいいじゃん。あたしは女だし~、マコト君だって男だし~。むしろ健全な証拠だよ。好きな人と抱き合ってたいって気持ちは~、君も同じでしょ~?』

「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃねえんだよ」

『じゃあ、どういうこと~?』

「何でビジネスやんねえんだよ?」

『え~。別にいいじゃん。命令されてやるようなことじゃないし~。あ、来た来た』

電話が切れる音

「おい! こら。切ってんじゃねえよ」

電話を架け直すが、虚しく響く呼び出し音

「ちきしょう…」

電話を切る小松
それと同時に真奈美からメールが送信される

「見たかねえんだよ!」

2017/07/14

■12

『歌舞伎町近くのプロントに着いた』

携帯電話を見ている大城

トップスハウスを出て左側に靖国通りが見える
信号を渡り、パチンコ・エスパスの近くに目的地はある

プロントの2階奥に4人掛けと思われるやや広めの席に小松が座っていた

「おう。彼はどうよ?」

「ああ。問題ねえよ」

「そっか」

デュポンのジッポでタバコに火を付ける小松
色はゴールドだった

「相変わらず好きだな。インポールが」

「まあな。ただでさえ俺は旺盛だからな。これでちょうどいいんだ」

鼻で笑い、セブンスターを取り出し、100円ライターで火をつける大城

「何度も思うことだけど、お前ってセッターって感じじゃないよな。100円ライターはよく似合うけど」

「うっせ。好きなんだからしょうがねえだろ」

「なら、しょうがないな」

「それはそうとさ。とりあえずこれで1人付いたけど、アイツを稼がした方がいいかそれともまだスポった方がいいか、どっちがいんだ?」

「まあ、両方やった方がいいな。だけど、優先順位的には動員する方が先決だ。しかも、彼の見てる前でだ」

「ああ。見せ付けるってことだろ?」

「そうそう。付き合いが長いなら尚更効果がある」

「へえ…」

「とりあえず短期間、理想では1ヶ月に直紹介を4人以上出せれば、凄いことになる。俺がそうだったし。4人いれば1人は必ず当たりがいる」

「なるほどね…」

「ていうかお前の演技さ、いつも笑っちゃいそうになんだよな。普段の話し方とすげえギャップがあるし」

「それはしょうがねえだろ。まあ、でもそのおかげでアイツにはお前が凄いってのは十分に伝わってるはずさ」

「ああ、それは俺もわかる」

「そういや、真奈美は来んの?」

「いや、来ねえんだよ。あの女、男に走ったからなぁ」

「まあ、あの子だったらそうなってもおかしくねえよな」

「会ったことあったっけ?」

「あるよ。考えるより先に行動するような感じだったよな。どっちかってえとギャル系だったし」

「まあ、それはそれとして問題なのはサイドライン同士ってことなんだ。こういう場合は絶対両方とも潰れるんだよな。しかも真奈美もその男も俺の直紹介だし」

「ふ~ん…」

「まあ、救いはあの女の直紹介の女の子が元気なことだな」

「確か香織ちゃんだっけ?でも、あの子はちょっと感じが違うよな」

「そうだな。最近結構熱いんだよ。普通アップが動かなくなるとダウンも動かなくなるもんだけどな」

「そりゃいいことじゃん。下が稼げりゃお前の取り分も増えるしな」

「まあな」

携帯電話を見ながら顔をしかめて煙を吐き出す小松

「どした? 悪い知らせか?」

「かもな。グループがたくさん出来ると色々とあるもんさ」

「へえ…」

「…俺はもう行くけど、どうする?」

「まだここにいるよ。腹減ったし」

「わかった。じゃあ、また明日な。明神君は俺がバッチリフォローするから」

「よろしく」

小松はルイヴィトンのボストンバックを肩に背負い込んで店を後にした
セブンスターを吸いながらメニューを眺めている大城

2017/07/13

■11

目的地のトップスハウスはまるで雑然とした新宿の中の別世界的な雰囲気のあるビルだった
外装はレンガで覆われており、エントランスには観葉植物が飾られている

独特の雰囲気ではあるが、人を寄せ付けないという感じではなく、むしろその逆で騒がしくない分落ち着けそうな印象だ

大城指定のカフェも外から中が見えたが、内装はレトロな雰囲気が特徴的で、茶色が主体な作りになっており、落ち着けそうだった
1階はそれほど広くないが、大城の姿は見当たらない

「おお、来たか」

大城の声が聞こえた方向を見ると、入り口の近くにある階段から大城が降りてくるのが見えた
気のせいかもしれないが、着ているスーツが縦のブルーストライプが入ったスーツで、若干グレードアップしているようだった

「お疲れ。なるほど。確かにいいところだな」

「だろ。スペシャルゲストがお待ちかねだぜ」

「あの人か?」

「まあな」

2階に上がり、右側は明るめの色合いの賑やかな雰囲気だが、左側はテーブルの色や内装が落ち着いたダークブラウンの色合いになっているせいか、より落ち着けそうな雰囲気だった

何よりも個人的に気に入ったのが、テーブルとテーブルの間隔が人が2人ほど通ることが出来るぐらい離れているところだった
たいていの場合は人が1人通ることが出来るスペースがあるかないかのところが多い

小松は左側の空間の1番奥のテーブルに座っており、手帳に何やら書き込んでいる様子
最初に八王子のデニーズで会ったときと同じスーツを着ていた

どこのブランドだろうか?
生地の感じから高そうだった

おそらくアルマーニとかだろう
しかし、目立つのは相変わらずだった

長身だからというわけではないだろうが、あのオーラは半端に生きている人間では出せない本物のオーラだ
おそらく100メートル離れていても、小松だとわかるだろう

「小松さん。お待たせしました」

顔を上げる小松
俺の姿を見つけ、柔和な表情を浮かべる

「明神さん。お疲れ様です」

「こちらこそ。お待たせしました」

「立ち話も難なので座ってください」

俺と大城は隣り合って座った
俺はキャラメルラテを注文することにした

このコーヒーの苦味とキャラメルの甘味のハーモニーが絶妙だ
どこのカフェに行ってもついつい頼んでしまう
逆にメニューにないとメニューに入れてもらうよう進言したくなってしまう
実際にやったことはないが…

「明神さんも今日仕事だったんですか?」

「そうですね」

「私服通勤なんですね」

「まあ、コールセンターのオペレーターなもんで。とは言っても仕事中は制服着ますけど」

「なるほど。大城君は営業だったっけ?」

「そうですね」

「二人とも正社員なんですか?いや僕は元々フリーターでギャル男だったんですよ」

「え?そうなんですか?」

「まあ、そうは見えないってよく言われるんですけどね」

言われてみると面影がないわけではない
おそらく日焼けサロンで焼いていたと思われる肌はやや黒かった

といっても荒れている状態ではなく、艶のある小麦色だった
ちなみに髪の色は真っ黒だった

「髪も茶髪だったり、メッシュ入れてたり、ブリーチしてサイヤ人みたいだったりでしたね。肌もよく海に行ったり、日サロに行ったりしてましたし」

変われば変わるものだ
俺はますます小松をここまで変えたネットワークビジネスという手段に興味を持った

「この仕事は僕にとっては天職みたいなもんですね。一旦収入が入る仕組みさえ作ってしまえば後は勝手に入って来ますからね。しかも、収入はほぼ無限に増やすことが出来ますし」

小松の言葉には不思議な説得力があった
気付けば俺は彼の話に聞き入っていた
大城もその通りと言わんばかりにただ頷いていた

「失礼致します」

どうやらキャラメルラテが来たようだ

ウェイトレスはセミロングヘアで右側が黒髪になっており、左側が赤みがかった茶髪だった
髪型も特徴的だったが、強い目力と何よりもそこはかとなく漂う影のある雰囲気が印象的だった

「明神さんは権利収入いくら欲しいですか?」

「え…」

予想外の質問に俺はすぐには言葉が出て来なかった

「大城君はいくら欲しいんだっけ?」

「とりあえず50万ですね」

「月収で?」

「もちろんです」

「だよね。年収とかだったら今やってる仕事より少ないもんな」

月収50万ということは1年で600万円になる
俺はとりあえず今の仕事を辞められるだけの金額が欲しい

となると月収20万ぐらいだろうか
それでも一年で240万だ
しかも、権利収入だから半永久的に入る計算だ

「明神さん顔がにやけてますよ」

「まあ、今計算してたもんで」

「普通ですよ。僕はこの業界に入ってまる3年経ちますけど、未だに計算してますし、その度に顔が勝手ににやけて来ますからね」

頷く大城

「僕はお金が大好きなんで。でも、こういうことを言うと、世の中金じゃなくて…みたいなこと言う人いません?」

「確かに。でも、自分の仕事場では既に人生が終わってるような人もたくさんいますね」

「だったら尚のこと運がいいですよ。明日改めて話すんですけど、このビジネスは今超ビッグチャンスなんですよ。明神さん明日来れますか?」

「来れますね。大城君から聞きました」

「ああ、なるほど。場所は大丈夫?」

「問題ないす。一緒に行くんで」

「わかった。ちょっと駅から離れてるんですよ。新宿文化センターっていう場所でやります。日程表とかってもう渡してる?」

「あとで渡します」

「何それ?」

腕時計をチラリと見る小松
フランクミューラーだった

「大城君。とりあえず俺はこれからアポ入ってるから先に行くわ。これでよろしく」

スーツのポケットから3000円を取り出し、テーブルに置く小松
羽振りがよろしいようで…
例のどでかいルイヴィトンのボストンバックを片手に颯爽と行ってしまった

大城は仕事で使っているポーターのビジネスバックからA4サイズの紙やファイルを取り出していた

「それがさっき言ってた日程表か?」

「ああ」

エクセルで作成したと思われるカレンダーベースの日程表だった
左上に黄色い文字でTOPAZと書かれていた

「とりあえず、明日のBTって書いてあるのが、ビジネストレーニングって呼ばれてるセミナーだ。そして、土日に2つ書かれているOSってのが新しい人用のセミ ナーで、一番の目玉がこのSLって書いてあるヤツだ。これはサクセスラーニングって呼ばれるもので、実は俺も初めてだ」

「へえ…。色々あるんだな」

「そうだな。小松さんは俺らみたいな事業とかを何もやったことがない人間でも月収100万を取れるようにってことでこういったセミナーをやってくれるんだ」

「小松さんてこういうのやることで、例えば会社からいくらかもらってるとか?」

「いや、オールモスト社公式のセミナーじゃないから出ない」

「てことは自腹か?」

「そうみたいだな。俺も詳しくはわからん」

「だとしたら、スゴイよな。純粋に俺らのためにってことになるだろ?」

「まあ、俺もお前も小松さんのグループにいるから、俺らが稼げればその分のいくらかが会社から入るはずだ。俺らの分から取るわけじゃないからピンハネじゃねえしな」

「なるほど…」

「そういや、飲みもん来てたんだな。気付かなかった。お前何頼んだの?」

「俺はいつも通りキャラメルラテさ」

「ホント好きだよな」

「甘いもの好きだからな。大城は?」

「俺はブレンド。ちょっぴり苦い大人の味さ」

「大城の口からそんな言葉が出るとは。これもビジネスオーナーの影響か?なんかスーツも高そうなの着てるし」

「まあ、営業だしな。スーツはバーバリーブラックレーベルで買っちまったよ。8万だった」

「8万!よくそんな金あったな」

「まあな。でもやっぱ着心地いいし。何よりも背筋が引き締まる気がするしな」

「小松さんのスーツも高そうだよな」

「アルマーニらしいぜ。20万ぐらいしたっつってたな」

今の俺には到底出せない金額だ
小松はそれ相応の生活をしているからだろうし、何よりも男の俺が言うのも難だが、惚れ惚れするほど似合う

「おっと。俺もアポが入ってるんだった。じゃあ、また明日な」

大城も小松も忙しそうだった
それだけ充実している証拠なのだろう
俺は今日大城に呼ばれなければ、このまま真っ直ぐ家に帰っていたところだった
そして、特に何かをするわけでもなく過ごしていたことだろう

今やっているコールセンターの仕事も気が付けば3年目になっていた
だが、かと言って特に給料が増えたわけでもなく、役職が付いたわけでもない
ある意味流され続けて来てしまったようなものだった
そんな俺にも小松曰くビッグチャンスが訪れたのだ

人生には転機が必ずあると言われるが、俺にとってはこれこそが転機なのだと感じずにはいられなかった

2017/07/12

■10

スタジオアルタの前は相変わらず人で溢れかえっている
この場所は主に待ち合わせ場所として使われることが多いから無理もない

人混みが好きではない俺にとっては一刻も早く立ち去りたい場所ではあるが、幸い今日は一人なので居酒屋のキャッチにも捕まらないし、この場所にキャバクラやホストクラブの客引きもいないため、俺の要望は比較的容易に満たせそうだ

アルタの前を通り過ぎるとすぐ左側に三井住友銀行とみずほ銀行がある
そのまま真っ直ぐ歩いて行くと、同じく左側にABCマートがある

おそらく近くまで来ているはずではあるが、念の為大城に電話をすることにした

『もしもし』

「俺だけど、今左にABCマートが見える場所に来た。もう近いよな?」

『そうだな。そこまで来たんならもう着いたも同然だぜ。そのまま進んで行くと、左にマルイとかビックカメラがないか?』

「ん~…」

大城の言うとおり確かにマルイとビックカメラが見える

「見つかったぜ」

『そのマルイとビックカメラの間に路地があるだろ?』

「え~と…。あるな」

『その路地を真っ直ぐ進んで行って左側にある』

「ああ…。さくらやの近くか?」

『だな。右側にはバグースもある』

「わかった。じゃあ」

2017/07/11

■9

特に東口方面は人も多く、雑然としているせいか余計行く気がしない

買い物をするときは渋谷・原宿・表参道辺りに行くことが多い

とりあえずアルタ前まで向かうことにした
歩き出そうとすると大城からメールが来た

『ニュートップス。新宿区新宿3ー20ー8 トップスハウス1階。言い忘れたけど、スペシャルゲストがいるのでお楽しみに』

スペシャルゲスト…
なんとなく誰がいるかは想像はつく
明日色々話す機会がありそうな気がしないでもないが…

2017/07/10

■8

午後7時、1日の重労働が終わりロッカーで着替える

このセンターはセキュリティ管理が厳しく、仕事中はポケットのない制服に着替えなければならない

正直なんとかならないものかと思ったりもするが、文句を言ったところで

『イヤなら辞めれば…。替えなんていくらでもいるし』

となるのは目に見えている

確かにある意味正論ではあるし、雇われの身である以上ある程度はやむを得ないとは思うが、会社側の考え方や姿勢があからさま過ぎるのは如何なものかというのが率直な感想だ

救いがあるとしたら、俺は業務委託をされている側にいることだ

このプロバイダに雇われている状態だとしたら、もっと理不尽な条件を突きつけられていたことだろう

それに俺が所属している業務委託会社はコールセンター関連では大手で通っているし、ほかにも複数の会社からも委託を受けているようななかなか敏腕な会社なようだ

だが、こういった愚痴や不満を言いながら生活をするのも時間が解決してくれる
何せ俺はビジネスオーナーになれる手段というか情報を手にした

そう思うだけでワクワクしてくるから不思議だ
大城のあの生き生きした様子がよくわかる
おそらく今の俺と同じ心境に違いない
大城から着信が来たようだ

このロッカーも一応セキュリティの厳しい場所だから通話が出来ない
エレベーターでビルのロビーまで移動し、大城に電話をする

『もしもし』

「おお、悪いな。着信があったから架け直した」

『そうか。とりあえず場所なんだが、新宿の東口にトップスハウスってビルがあって、その1階にニュートップスっていうカフェがあるんだわ。そこに来てくれ』

聞いたことのない場所だった

「近くに何があるんだ?」

『歌舞伎町方面から来るか、それともアルタ方面から来るかで変わるけどな』

「どっちがわかりやすい?」

『そうだな。俺としてはアルタ側の方が案内しやすいな。近くにマルイとかビックカメラがあるから』

「そうか…。じゃあ、近くに紀伊国屋もあるか?」

『そうだな』

「なんとなくわかった。とりあえず向かうわ」

『おうよ。住所メールした方がいいか?』

「そうだな。よろしく」

『じゃあ、また』

正直、全くと言っていいほどわかっていなかった
新宿は仕事場以外用のない場所だからだ

2017/07/09

■7

昼休憩はいつも13時半~14時ごろに出るようにしている
12時ごろはサラリーマンやOLが多くて混んでいるため、休んだ気がしない
元々人がたくさんいるという状況が好きではないというのと、人と同じ行動をするというのが好きではないのだ
携帯電話の画面を見ると、どうやら大城から着信があったようだった

『もしもし』

「どうした? 電話したか?」

『ああ。お前仕事何時までだっけ?』

「19時だ」

『場所は新宿だっけ?』

「ああ」

『いやな。あとでメシでもどうよ?』

「別にいいけど。どこにする?」

『新宿にしようぜ。最近雰囲気良くて美味いとこ見つけたんだ』

「わかった。奢ってくれるのか?」

『いやあ。そんな余裕はねえなぁ』

「嘘だよ。じゃあ、またあとでな」

『おうよ。んじゃ』

今まで大城と会うときはファミリーレストランばかりだったが、これもビジネスオーナーとして活動するようになったからだろうか
まあ、俺もそういう場所に多少なりとも飽きていたところだったからちょうどいいかもしれない

2017/07/08

■6

「お電話ありがとうございます。テクニカルサポートセンターの明神でございます(朝一は声の調子がいまいちだな)」

『すいません。ちょっとお聞きしたいんですけどいいですか?』

「はい。どのようなお問い合わせでしょうか?(男か。話し方からすると20代だな)」

『今朝インターネットをしようと思ったら全く使えなくなっちゃったんですけど…』

「さようでございますか。モデムのランプ状況ですが、リンクと書かれたランプはついていますでしょうか?(さて、この客のデータを見るか)」

『消えてますね』

「かしこまりました。では、お客様の登録情報を確認致しますので、電話番号とお名前をフルネームで教えていただけますでしょうか?(とりあえずモデムでも交換してやっか)」


「お電話ありがとうございます」

『すいません』

「はい(おっと。遮られた。女か)」

『解約したいんですけど』

「解約ですね。こちらインターネットが出来ないという窓口ですので、登録情報を確認の上解約受付の窓口にお繋ぎ致します(なんか不満そうな声だな)」

『はい』

「電話番号とお名前をフルネームで教えていただけますでしょうか?…ありがとうございます。では、お繋ぎ致しますので切らずにお待ちいただけますでしょうか」

『お疲れ様です。キャンセル解約のナカジマです』

「お疲れ様です。有線ユニットの明神です。お客様の対応お願いします(出来そうなヤツに繋がってよかった)」

『はい』

「お客様の電話番号ですが…」

『ありがとうございます。こちらで対応しますので、お繋ぎください』

「よろしくお願いします。お疲れ様です(こんなのばっかりだと楽なんだけどな)」

『お疲れ様です』


「お待たせ致しました。テクニカルサポートセンターの明神でございます(今日鳴るな)」

『お忙しいところすいません』

「いえ、とんでもないです」

『どこからお伝えしたらいいでしょうか?』

「では、過去の記録などを確認致しますので、お手数ですがお申し込みの電話番号とお名前をフルネームで教えていただけますでしょうか?(こういうタイプの人だと必要以上に丁寧になっちまうな。しかもおじいちゃんだし)…ありがとうございます。では確認致しますので少々お待ちいただけますでしょうか?(保留にすっか…。…これはスーパーバイザー呼ぶか)」

その場で手を上げる俺
PCのモニターを見ていた亀山スーパーバイザーがやってくる

よかった…それなりに出来る人間だ
今日はほかにも何人か出来るスーパーバイザーがいる

「どうしました?」

「この人こっちで出来ることは全部やってる感じなんですけど、次はどうしたらいいですかね?」

「ちょっと見せて」

俺の席にあるPCを操作し始める亀山

このセンターはオペレーター1人1人にPCが与えられており、顧客情報も電話番号などを入力することで検索出来る
システム的にはそれほど悪くはない

「う~ん…。となるとあとは有料での現地調査か納得しないようだったら解約誘導になるね」

「確かにそうですね」

「お願いします」

俺は保留を解除することにした

「お客様」

『はい』

「大変お待たせ致しました。今過去の記録などを確認したんですが、実は私共で出来ることが現状非常に限られている状況でして、あと出来ることが有料で工事も出来るスタッフを派遣するという対応になりますが」

『そうですか…。有料というお話でしたけれど、いくらぐらいかかるんですか?』

「料金と致しましてはスタッフを派遣するのに10500円、原因が見つかってそれを取り除くのにも費用が別途発生します(こりゃ首を縦に振らなさそうだな)」

『う~ん…。ほかの方法はないでしょうかねぇ』

「(やはりそう来たか)そうですねぇ。私共と致しましてもほかの選択肢があるのであればご案内させて頂くんですが、もうモデムの交換もしてますし、電話局側の機器の交換も行っているものですから、たいていはこれで改善出来ることがほとんどなんですけども、これで改善が見られないという状況なので、大変申し訳ない お話ではありますが、残された方法としては先程お伝えしたように有料でスタッフを派遣して原因を調べるということになってしまいます」

『そうですか…。やはり改善する可能性は高いんですか?』

「そうですね。私共としては最後の手段と位置付けているものですので、改善する可能性は高いですね(まあ、有料だしね。いつも思うことだけど、もっと早い段階で現地調査って出来ないもんかねぇ)」

『…わかりました。一度検討したいと思います。まだ連絡します』

「かしこまりました。ご連絡お待ちしております(こういう人はちょっと可哀想だよな。ちょっと喋り疲れたからトイレでも行ってこよう)」

2017/07/07

■5

プチセレブな朝食を終えて、始業時間が迫ってきたので仕事場に向かうことにした

都庁を始めオフィスビルが多く立ち並ぶ一角に俺が勤務している某大手インターネットサービスプロバイダのコールセンターがある

俺はインターネットが使えないユーザーの対応をしている窓口でトラブルシューティングをやっている

顔が見えない相手と声だけのやり取りで復旧まで持っていくという一見難易度の高い作業に見えるのがこの仕事の特徴でもある

営業ほどではないが、離職率は高くなかなか職場への定着率は低い
そのため自給を高く設定しているところがほとんどだ

俺が勤務しているセンターはかなり低く設定されているが、その分雰囲気はそれほど悪くはなく、勤続期間の長い人間もそれなりにいる

さて、今日はどれだけ電話が鳴るだろうか?

2017/07/06

■4

午前7時、仕事場の最寄駅でもある新宿に到着
東口方面はゴミゴミしてるので、西口方面に行くことにした

確か地下のタクシー乗り場がある場所を通って行くと、いくつか雰囲気のいいカフェがあったはずだ
でも、こんな時間に営業しているのだろうか?

携帯電話が鳴る
大城だった

「もしもし」

『おお…。起きてたのか?』

「ああ。なぜか早く起きちまったから、これからセレブな朝飯でも食おうかと思ってたとこさ」

『そうか…』

「寝起きか?」

『ああ…。俺は太陽の光に弱いもんでな…』

「で、どうした?」

『メールあった件だけどよ、実は小松さんは色々なノウハウを持ってる人でさ。うまくいくコツとかをセミナー形式で教えてんだ。とりあえずそれに来てくれ』

「へえ…。それっていくらするんだ?」

『高くねえ。普通そういうノウハウ的なものだと1万とかすることが多いけど、小松さんは1回1000円でやってくれる』

「いつだ?」

『とりあえず明後日だ。時間は夜8時からで、場所は新宿だ』

「わかった」

『しかし、早いな…。もう振り込むとは』

「こういうのは早い方がいいんだろ?」

『まあな…』

「じゃあ、またな。これから仕事だろ?」

『ああ…。じゃあ、そういうことで』

まさかこの歳で学校の勉強のようなことをまたやるとは思わなかったが、どちらがためになるかは言うまでもない

2017/07/05

■3

駅はまだ朝の早い時間だったが、既に通勤するサラリーマンやOLの姿が多く見られた

みなさんお疲れ様

一体あなたたちの会社の始業時間は何時なのだろうか?
早朝出勤が義務付けられているのだろうか?

俺は10時出勤だからこんな時間に電車に乗るのは夜通し遊んで始発で帰るときぐらいなものだ

無論ほかの人を自分の価値観だけで判断してはいけないのはわかってはいるが、明らかにお疲れなオーラが充満している

他人事とはいえ、俺もそのうちこうなってしまうのかと思うとつくづく昨日の手段を知ることが出来た俺は運がいい

そう思うだけでなぜかいつもと同じ風景が違って見えるから不思議だ

2017/07/04

■2

オールモスト社の会員登録用紙にサインアップしたその翌日、俺はらしくもなく興奮していたようで、なかなか寝付けずに朝の6時に目が覚めてしまった

あとは商品代2万円を所定の口座に入金すれば俺も権利収入に1歩近付ける

そう思うといてもたってもいられなかったようだ

早速最寄りの銀行で入金を済ませ、大城にメールをした

『入金完了だ。これから何をすればいいんだ?』

おそらくこの時間だと寝ているだろうからすぐに返信は来ないだろう
そういう俺も仕事まで大分時間が空いてしまった

始業が10時だからリッチに朝食とやらをどこかのお洒落なカフェで食べるのもいいかもしれない

2017/07/03

■1

翌日、行きつけのデニーズ20時にその大城曰くビジネスオーナーで生活をしている普通に生きていたらまず会えないという人物がやってきた

その人物は小松佳孝という男で、歳はなんと俺や大城と同い年の26歳だった

小松は細身の長身で身長は180はあるだろう
髪型は黒髪のオールバックで、縦のホワイトストライプが入った黒いスーツを着ており、そのまま旅行にでも行けそうなルイヴィトンのボストンバックを持っていた

一見するとホストのような格好だったが、オーラが半端ではなく、とても同い年には見えなかった

確かに大城の言っていたことも嘘ではないと思った

「はじめまして。小松です」

ジバンシイの名刺入れから取り出された名刺は透明で、小松のフルネームと住所や連絡先などいわゆる個人情報が書かれていた

そして、左上に英語でTOPAZと書かれていた
あの、宝石トパーズだろうか?

「小松さん。飲み物どうしますか?」

「そうだな。今日はアイスティーで」

飲み物を取りに行く大城
小松はどこでどういったことをやってここまでのオーラを身にまとうようになったのだろうか?それにしても高そうなものばかり身に付けているようだった

「チャンスは誰にでもありますよ。要はそれに気付くか気付かないかですね。僕も4年前までは今着ているようなものには全く縁がないような生活してましたから」

小松は人の心が読めるのだろうか?
今の発言は完全に俺の腹の内を見透かしたかのようだった

「驚いた顔をしてますよ。確かに僕は仲間からも言われますね。小松は読心術が使えるって。大城君にも同じように言われましたね」

「あいつ、いや大城とはいつごろからのお知り合いなんですか?」

「実は小学か中学が同じだったみたいですね。でも、当時はほとんど面識はなかったんですよ。ここ1ヶ月ぐらいからはよく会うようになりましたね」

大城が飲み物を持ってやってきた
アイスティー1つにコーラが2つ

「てことはお前も稼いでんの?」

「まあ、小松さんほどじゃねぇけどな」

「大城君はなかなかのやり手ですよ。これから半年以内にもっと凄くなると思いますね」

俺は耳を疑った
何かにつけてすぐにイチャモンを付けることが特技になっていて、俺に負けず劣らず怠け者で、口先だけで生きているような大城が?

「人は些細なキッカケがあれば変りますよ。僕もそうでしたし、大城君は何よりも吸収が早い。僕の言うことを誰よりも形にするのが早い」

まさか事前に小松と口裏を合わせているのだろうか?

「いや、俺は1ヶ月前のあの日から生まれ変わったんだ。ビジネスオーナーになって20代のうちに引退生活をするさ。現に小松さんがそれに近い生活してるしな。ですよね?」

「まあ、まだ引退とまで行かないですけど。一応妻子持ちな身なんで、家族を養うぐらいの金額は稼いでますね」

どうやら嘘ではなさそうだ
一体どんな凄い話なのかますます聞いてみたくなった

「明神さんは今回の話を大城君からどの辺まで聞いてますか?」

「ビジネスオーナーになれる話があるって聞いてましたね」

「なるほど…。てことは4つのステージも聞いてるってことですね?」

「そうですね」

「わかりました。じゃあ、これを使おうかな」

ルイヴィトンのボストンバックからノートパソコンを取り出す小松
メーカーはNECでモニターのサイズは15インチぐらいだった

おそらく持ち運び用ではなく、デスクトップ的な使い方をしていることは容易に想像が付いた

「パワーポイントの資料があるんですよ。立ち上がるまでちょっと時間がかかりますけど」

おそらく常駐ソフトがたくさん入っているはずだ
完全にデスクトップの画面が出るまで5分ぐらいかかるだろう

「僕あんまりパソコンとか詳しくないんですよ。最近やっとワード・エクセルが少し使えるようになりましたけど」

「小松さん結構アナログ人間ですよね」

「まあな。お、出てきましたね」

アイコンがたくさん並んだデスクトップ画面の中にあるパワーポイント資料をクリックする小松

資料によれば今回のビジネスオーナーになることが出来る手段は通称ネットワークビジネスと呼ばれる手法のようだ

別名マルチレベルマーケティングとも呼ばれるようで、よく比較されるネズミ講や悪徳マルチとの相違点は、商品が存在することと耐久品や粗悪品ではないとのこと

小松や大城はオールモスト社というところでディストリビューターとして活動しているようだ

どうも商品を売ったりする営業や販売ではなく、自分たちが広告塔となってオールモスト社とユーザーを繋ぎ、そのCM料として収入を得るということらしい

取り扱い商品は健康食品や日常消耗品のため、毎月ほぼ確実にリピートするため権利収入になりやすいということのようだ

ちなみに権利収入を得るための条件としては毎月商品の定期購入が必要とのことで、小松や大城も毎月購入しているそうだ

「でも、購入額は毎月2万で済みますよ。普通に商売やるんだったらもっと費用が必要ですよね? コンビニやるんだったら500万は必要だし、飲食だったら1000万ぐらい、美容室だったら1500万ぐらいだし、ショットバーとかだったら3000万とかになりますしね」

確かに小松の言うとおりだった
非常に魅力的な話であることは確かなようだが、現時点で完全に小松のことは信じることは出来なかった

胡散臭いというわけではないが、この手段に果たして自分の人生を賭けても大丈夫だろうか?という不安が少なからずあった

しかし、その反面上手くいったときの自分がどのようになっているかということもイメージし始めていた

「なあ、明神。俺はやっと希望の光を見つけたんだ。今のこのマンネリ化した生活から脱出出来るかもしれないんだぜ。お前も言ってたろ?こんな生活には飽き飽きしてるって」

「まあ、そりゃそうだけど…」

「一緒にやろうぜ。それで、この砂漠のように不毛な世界から脱出しようぜ。チャンスの女神は何度も来ないし、ヤツは前髪しかないから逃がすと次はないしな」

小松は黙って俺たちのやり取りを見守っているようだった
まるでポーカーフェイスという言葉は彼のためにあるかのようだった
一体この男はどんなことをしてきたのだろうか?

「…そうだな。…わかった。やります」

「そう言うと思ってたぜ。小松さんあれをお願いします」

「まあ、そうあせんなって」

何やら契約書のようなものを取り出す小松

名前を書く欄や口座番号を書く欄があった
収入が発生したときの振込先になるのだろう

「じゃあ、明神さん。サクッと書いちゃってくれ」

どうやらそれほど害のあるものでもなさそうだ
あの大城がここまで本気になるものがどんなものか興味もあった
何よりも小松の醸し出すオーラの裏側も見てみたいというのもあった

2017/07/02

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さて何から書けばいいだろうか…

とりあえず自己紹介だろうか?

正直あまり得意ではない
なんとなく形式的な気がするし、第一何を話せばいいかよくわからないことが多い

自己紹介してって言われると、ここぞとばかり自分の自慢ばかりする人や脈絡なく自分のことを話す人は、率直に言って人間的に興味が持てないし、圧倒的につまらないことがなぜか多い

まるで発言すればするほど自分自身に中身がないことをアピールしているかのようで、それはそれで面白いと言えば面白いが

話が反れてしまった。このように本来どうでもいいことに意味付けをするのは俺の悪い癖でもある

まず俺の名前は明神。歳は26
そして、職業は某インターネットサービスプロバイダでオペレーターをやっている

こんな感じでいいだろうか?
自己紹介なんて、要は自分がどんな名前かわかればそれでいいのではないかと思ったりする

必要最低限の情報がわかればそれでいいのではないか?
もっと俺のことを知りたければ個人的に聞いて欲しいものだ
全員が全員俺のことを知りたいわけではないと思う

俺は基本的に怠け者だし、束縛や人から指図されたりするのが何よりも嫌いで、学校のように決まった時間に通学して、先生から課題を与えられたり、クラスのみんなと一緒にやれ体育祭だ文化祭だのって言われるのは本当にやる気がしなかった

だが、逆にとりあえず表面上でもこなしていれば生きていくことは出来たし、何よりも楽だったから多少の不満に関しても目はつぶっていた

こんな性格だから、当然就職もなかなか決まらなかったし、何よりもこのまま会社に入ってしまったら、それこそ決まった時間に通勤して帰って、所定の日に給料という名のお小遣いをもらう生活をこれから何年も繰り返すという、いわば自分の近未来が見えるのがとにかくいやだった

とは言え自分にはほかに組織に頼らないで生活をしていく資産だったり、才能やコネがあるわけでもないというのも薄々勘付いていた
それは百も承知だが

というこのやり場のない感情をどうしたらいいのだろうか?
と思っていたところに友人でもある大城がある情報を持ちかけてきた

「そういうお前にピッタリの仕事聞いちまったんだよね」

「は?」

目が点になるのを感じた
俺の価値観に同意をしており、とりあえず金が稼げれば何でも構わないと言っていた、どんな話を聞いても心が動くことのないあの大城が本当に心から楽しそうに語っていたから無理もない

「で?どんな仕事だ」

上手い話の裏には必ず何かがあると常に思っている俺はまず疑った

「まあ、あせんなって。どんな仕事かって言うとだ…。紙ねえかなあ…。ああ、このナプキンでいいや」

俺たちはちょうど行きつけになっているJR八王子駅と京王八王子駅の中間地点にあるデニーズにいた

大城はナプキンに十の字を書いた

「まずさ。世の中ってさ仕事を大きく分けると4つに分けられんだ。左上がいわゆる労働って呼ばれる場所。リーマンとかOLとかがここさ」

大城はどこでこういう情報を聞いて来たのだろうか?

「じゃあさ、この労働の下つまり左下はどんな人たちが来ると思う?」

「さあ…」

「だよな。ここは自営業だ」

「へえ…。でも仕事ってもうないんじゃ?」

「そう思うだろ? 俺もそうだった。でも、あと2つあんだ。こっからが本番だ」

よくわからないが、大城とは付き合いが長く、少なく見積もっても10年はある
その期間の中で1番生き生きしていた
この男をここまで変えたものは一体何だろうか? 俺は真相を確かめてみたくなった

「じゃあ、まず右下だ。ここは答えを言うと、投資家と呼ばれる連中だ。1番金持ってるヤツらさ。10億投資して100億儲かったとかいう意味不明な話が飛び交ってる」

「なるほど…」

「で、だ。俺が聞いた話ってのは残りの右上の話しなわけよ。ここってさ何だと思う?」

「…印税とかかな?」

「その通り。まさしくその印税関係だ。ここは総称するとビジネスオーナーって言われてる」

「ビジネスオーナー?」

聞いたことのない言葉だった
ただ、作家や作曲家が本やCDなどが売れると印税として収入が入ってくるというのはなんとなく知っていた

俺も目指していたことが過去にあった。理由は1度収入が入ってくるようになれば決まった時間に通勤しなくても生活出来る

ある意味権利的な収入なため半永久的に入ってくる。面倒臭がりな俺にとっては願ったり叶ったりな手段だ

但し印税を手に入れるにはとにかく才能が必要で、俺にはそれがなかった

どこで聞いたのかわからないが、もし大城の言うことが本当なら俺にも運が向いてきた

「ああ。作家とか作曲家もビジネスオーナーだ」

「それはなんとなくわかる」

「そうか。お前そういうことやってたもんな。だったらこの話すげえと思わねぇ?」

「確かにな。でも、まだ肝心なことを聞いてないぜ」

「ああ、そうだったな。でも、こっから先は俺が話すと最低でも12時間はかかる。だから俺の知り合いでもあり、この手段で生活してる人がいるから、その人に会わせてやるよ。その人だったら1時間で終わる」

「へえ、そりゃありがたいな」

「オッケー。今その人と連絡取ってみるわ。フツーに生活してたらまず会えないような人だからよ。色々と忙しいわけさ。でも、なぜか俺が連絡するときはいつもつかまるんだわ。会うのはいつでもいいだろ?」

「まあな。基本暇だからな」

大城は予め用意していたかのように携帯電話を操作した。短縮ダイヤルでもついているのだろうか

「あ、もしもし。お疲れ様です。今大丈夫ですか? すいません。え~とですね、例の話を聞きたいっていう人がいるんですけど。はい。友達ですね。はい。じゃあ、ちょっと聞いてみます。いつでもいいとは言ってましたけど」

大城の動作から、通話を保留にしたようだった

「あれさぁ、明日のこの時間でもいい?」

「ああ、いいぜ」

大城はすかさず保留を解除した

「もしもし。今本人に聞いたんですけど、明日の20時で問題ないそうです。はい。わかりました。ありがとうございます。では、明日はよろしくお願いします。失礼します」

電話を切る大城

「な、言ったろ。俺が連絡取るとなぜかその人都合がいいことが多いって」

「みたいだな」

「さてと。おっともうこんな時間か。俺はもう行くけどどうする?」

「俺はまだいるわ」

「おう。じゃあ、また明日な」

とりあえず鬼が出るか蛇が出るかわからないが、俺の直感も話を聞いてみろと言っているようだった

確かに理性よりも直感で動いた方が何かと面白いことが起こる。最近毎日がマンネリ気味で退屈だったからちょうどいいかもしれない