2016/08/12

※7

当時カオリは六大学の一角という世間体的には聞こえのいい大学に通っていた
それなりに恋愛も楽しんで来た

例え一つの恋が終わったとしても、すぐに次が始まるといった状況で、生きているうちに3度はあると言われる何もしなくてもモテる時期の真っ只中のようだった

しかしその反面、全てが上手くいっている、付き合っている男が自分から離れることなどない、自分には努力などは必要ないと少なからず思っていたかもしれなかった

カオリはいつものように、付き合っていた恋人が住んでいるアパートに向かっていた
部屋の前で熱烈と言っても大袈裟でないほどのラブシーンを繰り広げているカップルが見えた

日が落ちている時間帯だったためハッキリとは分からなかったが、お互いの唇を吸い合う音が聞こえるほどの激しいキスシーンのあとに、カオリがいつも入っていた恋人の部屋にその2人は入った

部屋に電気が付き、程なくして消えた
何が行われていたかは想像に難くない…

カオリは心に空洞が出来たような感覚に襲われるのを感じた
それと同時に腹立たしさや悲しみが一気に押し寄せて、それが涙となって流れて来た
今まで味わったことのないものだったから無理もない

現状出来ることは溢れ出る感情に身を任せる、それだけだった

※6

オレは田町で仕事をしていた
つい最近までは西新宿が勤務先だった

契約社員という名目で、やっていることは俗に言う派遣というものだった
別に嫌いではなかった
正社員などと違って、理不尽なサービス残業や明らかに理に適っていない意味不明な組織への忠誠心を強要されることがなく、決められた時間の中で決められた業務をこなせばいいのだから

ただ、ここのところ明らかに経費削減と思われるような露骨なシフトカットが出始めており、勤務先の基盤を地方に移転させるという不穏な噂も後を絶たなかった

正直なところ、何も勤務先が西新宿である必要性はなかった
収入も減って来ている現状もあり、何よりもマナミと出来ちゃった結婚してしまいそうな状況でもあった

しかし、過去に転職というか再就職をしたことがあるだけに、所属先を変えるまたは異業種に転職する気にはなれなかった
手間と時間と経費の部分から見ても得策ではない

そもそも多くの会社が行っている人物重視の選考という名目の面接が嫌いだった
所詮はふるい落としをするための参考でしかない…
そうとしか思えないような扱いしかされなかった

その試験を通過するには、オレの最も苦手な自分自身をその会社の求める人物像にある程度改造するという作業が必要だった
やろうと思えば出来ないことはなかったが、そこまでしてその試験を通過したいとは思わなかったし、何よりもその価値を見出だせなかった

それは結局のところ偽りの自分なわけで、そんな張りぼてをいつまでも演じてられるわけもない
いずれは化けの皮が剥がれる

ならば、最初からありのままの自分を受け入れてくれるようなところ、またはそういったことをあまり重視しないようなところに身を置く方がいい

ネコや羊の皮を被り続けることやそれを取り繕い続けることに価値はないと思っていた
結局のところは夢も希望もない、そしてやりたいこともない、というだけなのだが…

※5

オオシロはコマツからの紹介を受けて、オールモスト社のネットワークビジネスに参加していた

当初はこの手段に将来性、そして希望を感じていたこともあり、精力的に動いていた
その結果、毎月約10万円ほどの収入を得ることが出来た

だが、オオシロは自分が稼ぐとそのうちの幾分かが紹介者であるコマツの利益になることが気に入らなかった
自らの取り分からピンハネされることはなかったが…

加えてコマツにABCを依頼することにも煩わしさを感じていた
新規であるCとAであるコマツの相性をいちいち気にしなくてはいけなかったからだ

無論、コマツに繋ぐことで失敗に終わったことも数多くあった
そして、自分自身でACならぬBCでサインアップ+入金まで漕ぎ付けたこともそれなりにあった

コマツのやり方に疑問を感じていたこともあり、この収入については事実上自力で稼いだも同然だった

※4

「人生の歯車が狂ってしまった…」

おそらく誰しも一度は感じたことがあるのではないだろうか?
少なくともカオリはそのように感じていた

カオリは現在、東京港区三田にある某IT系企業のオフィスで契約社員として働いていた

業務内容はいわゆるヘルプデスクという一見聞こえのいいものだったが、実際は不特定多数のエンドユーザー対応というそれなりに骨の折れる仕事だった
仕事や職場環境にはこれといった不満は感じていなかったが、充実感も感じていなかった

「こんなはずじゃなかったのに…」

カオリの人生が狂った一因として思い当たることは、まだ大学生だったときに出会った人物や自分自身に降りかかった様々な出来事だった

※3

オレの腕の中にはマナミがいた
小さくて、細くて、人形のような顔…

抱いているのに逆に抱かれているかのような錯覚を覚える摩訶不思議な体…
オレの冷めた体を温め、凍りついた心も一部融解させた最初で最後の存在だった

しかし、それはあくまで一部であり、芯まで溶かすことは出来なかった…

「タカシの目って、どんなときもいつもおんなじだよね」

「そうか?」

「うん…。いつも動かないっていうかどこ見てるかわからない感じっていうのかな。上手く言えないけど…」

よくわからなかった…
考えたこともなかった…
いつからそうなったのか?
物心ついたときから?
元々そうだったのか、それともある時期を境にそうなったのか?

基本的に相手の目を見るのはたとえ心を許している人間でもあまり好きではなかった
マナミはそれとは対照的にオレを凝視する傾向があったので、気になったのかもしれない

そもそもなぜマナミと付き合うようになったのだろう?
必然なのか?
偶然なのか?

正直なところよくわからない…

気がつくと抱き合い、お互いの性器を交え、分泌物を舐め合い、そして心のキズまで舐め合うような、俗に言う恋人と呼ばれる関係になっていた

その関係自体は、悪くはなかった
マナミもまんざらではなかったようだった

「タカシの子供が欲しいなぁ~♪」

「付けなくてだいじょぶだよ・・・」

耳元でそのようにささやかれることも多かった
無論、その言葉に甘えることの方が多かったが…

今までの相手ではそういうことはほぼ皆無だった
マナミだからこそ、という感じだった

こういった状況だと、子供が出来て、結婚して、といった流れになるのも時間の問題かと思われた
マナミもそれを望んでいたに違いない

※2

コマツは現在オールモスト社のネットワークビジネスで毎月約30万円ほどの収入があった

グループ人数の増加によって、一時期月収100万円ほど稼いだこともあったが、それはまだオオシロやカオリが動いていたころの話だった

そのまま乗数の法則によって、収入が増えていくものと思っていたが、現状は頭打ち気味だった

多くの収益が期待できるはずのオオシロやカオリが動かなくなってしまった
当然そこからの収入は入ってこなくなる

現状は新たに自ら直紹介をしたディストリビューターの稼動分や一般ユーザーの定期購入によって、なんとかなっている状況だった

ネズミ講と誤解されたり、買い込み権利収入と揶揄されたり、取り扱い製品が高いことによって、借金させられる等の悪評が立っている業界でもある

風当たりが厳しいのは否定できなかった

※1

時刻は23:59…
あと何秒かわからないが、今日という日が終わりを告げようとしているようだ…

オレの目の前にはPCの画面がある
その画面右下にデジタルな文字列で23:59という数字が並んでいる

この数字が0:00になれば明日という日に切り替わる、ただそれだけのこと…
昨日も今日も明日も特に違いはない…

強いて違いを挙げるなら、表現方法の違いぐらいか…

そんなことは今のオレにはどうでもいいこと
なぜなら、あのときからオレの中の時間は時を刻むのを止めてしまったのだから…